FC2ブログ

トップ  >  感想  >  八甲田山 4K デジタルリマスター版

八甲田山 4K デジタルリマスター版
2019年07月29日

320_20190722195620d71.jpg「午前十時の映画祭」は、10回目となる今開催をもってファイナルだそうですね。
経費の負担が相当きつかったらしいですが。

2週間上映を1週間にし、一般料金1100円を少々値上げしたってアッシは全然かまわねえから続けてほしいなあと思ってるクチなんですが、それだったら「映画祭」的な意味合いがなくなっちゃうのかな。
通常興行のリバイバル上映と変わらなくなっちゃいますもんね。

難しいなあ。 残念だなあ。
とは言っても、アッシもそんなに「午前十時の映画祭」の作品をバンバン観に行ったわけじゃないですがね。

何本か観た中では、なんといっても「新幹線大爆破」を観れたのは忘れ難い思い出。
そのことも含めて10年間続けてくださった運営さんには「ありがとおっ!」と声を大にして言いたいです。


さて、春先に発表された「午前十時の映画祭10 FINAL」のラインナップを見た瞬間に、「天は我々を見放さなかったあーっ!」と快哉を叫んだ方も多いでしょう。


b0020749_16170080.jpg
最後の映画祭にして初登場となる本作。 観たかったのですよ、これが。
多分に映画館ではリアルタイムで鑑賞しておらず、後年にテレビ放送で観たのみだと記憶しております。
映画館という空間でこの「八甲田山」が鑑賞できる幸せ。
選定してくださった委員の方々に感謝。

「八甲田山」は1977年の東宝映画で、原作は新田次郎の小説「八甲田山 死の彷徨」。
明治35年(1902年)に冬の八甲田山で雪中行軍の演習中だった日本陸軍の連隊210名中199名が死亡するという山岳史上最大の遭難事件を豪華キャストで映画化した人間ドラマの超大作です。

監督は「日本沈没」の森谷司郎。 脚本は多くの黒澤映画を手掛けた橋本忍。
キャストの顔ぶれがまた、どえりゃあ状態に。

高倉健  自分、不器用ですから・・・
北大路欣也  わしも格好つけにゃあならんですけぇ
三國連太郎  スーさん
加山雄三  若大将
栗原小巻  コマキストを生んだ超絶美女
緒形拳   必殺仕掛人・藤枝梅安
丹波哲郎  霊界の宣伝マン
島田正吾  日本のTVドラマ主演最高齢記録保持者
大滝秀治  本官は・・・
神山繁  ザ・ガードマン
森田健作  よしかぁー君!
秋吉久美子  子供は卵で産みたい
小林桂樹  日本のサラリーマン
前田吟  寅さんの義弟
藤岡琢也  「わた鬼」の大吉さん
東野英心  はっちゃくパパ
下条アトム  エディ・マーフィーの声
大竹まこと  シティボーイズ
加賀まりこ  元祖小悪魔
菅井きん  ムコ殿ぉ~
加藤嘉  山田五十鈴の元ダンナ 
main e mainw.jpg
main q
年代によっては「誰それ?」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これはなかなかのメンツ。

派手なアクションのある映画ではなく、雪山の中で兵隊さんがヒーヒー言ってるか、部屋の中で誰かが会話してるシーンのどちらかしかない映像の作品でありながら、出てきただけで画が引き締まる人、あるいはセリフを発するトーンで場を支配する口調の役者さんでもって、相当な重厚感と緊張感が醸し出されており、役者のパワーで引っ張ってる大力作と言えるでしょう。

200人近い人数、それも鍛えられた兵隊さんばかりが一辺に犠牲になった痛ましい八甲田山の遭難。
「雪山なめたらいかんぜよ」の教訓話ですが、極限状況で露呈する組織力の意外なもろさも描いている一大悲劇です。


明治35年、日本は朝鮮半島と満州の権益をめぐり、これはいよいよロシアとの戦争は避けられんなというところまで来ていたのでした。
しかし、相手は寒さなど屁とも思わない、元気ハツラツな風の子雪の子ロシア人。
地理的に寒冷地での戦いになるであろうし、そうなったら日本軍にとってはメッチャ不利。
86732482215baeab2d47e740f11a4c1f0e2fad2c_17_2_9_2.jpg
日清戦争の際にリャオトンで戦った日本兵に凍傷者が続出したことも鑑みて、第四旅団参謀長・中林中佐(大滝秀治)は「日露戦争に備えての寒地教育訓練確立」を目的とする「八甲田雪中行軍」を提案します。
ロシア人と戦うのに「寒い寒い」とは言ってられませんので、雪の八甲田山での行軍訓練で兵士たちを「寒さなんてへっちゃらだぜい」と言えるくらいに鍛えましょうやということです。

弘前第四旅団本部に集められたのは、「青森歩兵第五連隊」と「弘前歩兵第三十一連隊」という二連隊の上官クラスの面々。
五連隊の中隊長・神田大尉(北大路欣也)と三十一連隊の中隊長・徳島大尉(高倉健)は雪中行軍の共同提案者でもある弘前第八師団旅団長・友田少将(島田正吾)から「二人とも、冬の八甲田を歩いてみたいとは思わないか」と提案されます。 まるでツアープランナーみたいな言い方。

これは実質上、命令だと受け取った双方の連隊長、五連隊の津村中佐(小林桂樹)と三十一連隊の児島大佐(丹波哲郎)は、「どうせならお互い、逆方向からのルートを歩いて、途中ですれ違うってことをやろう」と言いだします。 まあ確かに連帯感というか、テンションは上がりますわね。

scroll_pic01.jpg
実際のところ、やるかやらないかは両連隊に任せるという中林中佐のニュアンスだったものの、なんだかんだと言う間もなく雪中行軍実施が事実上決定。
建さん・徳島大尉北大路・神田大尉はそれぞれの連隊の指揮官に任命され、まずは徳島大尉の自宅で二人は勉強会を行います。

上の者は簡単なように言っていますが、岩木山での雪中行軍の経験がある徳島大尉は雪山の怖さも熟知しており、神田大尉ももちろんこれが難しい任務であることは百も承知。
雪山での心得などの情報を共有し、酒を飲み交わした二人はわずかばかりの間に友好を深め、雪の八甲田での再会を約束して別れたのでした。

Hakkoda20route20march20in20the20snow.jpg 
健さん・徳島大尉が立てた三十一連隊の行軍計画は弘前から十和田湖を南側から回り込んで東進し、八甲田を東南から攻めるという、全行程240キロにも及ぶ長い道のり。
なんでこんな遠回りをせなばならなかったのかというと、児島大佐らが「五連隊と合流する」という余計な"イベント"を組んだため。
青森側の西北から直接八甲田に入るコースを取る五連隊と出会うには、三十一連隊は東南側にわざわざ回らなければなりませんでした。

日程は10泊を予定。 距離が距離だけに大人数をゾロゾロ連れて歩くのも無謀ということで、人数をグッと絞って27人という編成に。

4y2801_2.jpg 
徳島大尉の提出した計画要項に児島大佐や門間少佐(藤岡琢也)らは当然、「27人ってどゆこと?」となります。
「小隊規模にも満たないじゃないか」と。
「小隊」とは30~60人程度の編成部隊。 分隊ほどではないにせよ、こんな少人数では行軍訓練の意味がどうたらこうたらとブーたれる上官に徳島大尉はハッキリと言います。

「このような計画になった責任は連隊長にあります」
すべては連隊長同士で三十一連隊と五連隊との"合流イベント"を安易に口約束してしまったため。
過密日程による無茶苦茶遠回りな距離を行軍するには大人数では危険で、少数編成にせざるを得ません。

B2tx5bdCcAEdgxc.jpg
その代わり、兵卒よりも下士官の割合を多くした少数精鋭で行けば、万が一の場合は申し訳が立つと徳島大尉は言います。
「自分は安請け合いしたことを後悔しています。 冬の八甲田は恐ろしい所です」
装備はできるだけ軽量にし、民泊にも頼ることも決めた大尉は部下にルートの下調べや現地での案内人の手配を指示します。

27人を集めての結団式での徳島大尉の訓示はなかなかタメになります。
「水筒の水は満水にせずに七分目までにすること。 絶えず動かしてれば凍ることはない」
「人間の体もそれと同じことで、たとえ小休止でも靴の中で足の指を動かしたり、手袋をはめた指も動かし続けること」

聞いてるだけで、逆に恐ろしくなってきます。 今からそんなところに行くんかい? そんなところなのです。 冬の八甲田はヤバいのです。

3a8819fffce4484c1dd40e3df3d70d900c0fe90a_xlarge.jpg
さて片や、北大路・神田大尉が率いる青森歩兵第五連隊。
行程は青森から直接八甲田を攻め、2ヶ所の直営地を経て、三本木(現・十和田市)までのおよそ60キロ。 日程は2泊3日の予定。
人数は小隊規模にすることを決めていた神田大尉ですが、思わぬ横やりが入ります。

DNE6wDqVQAA2TMA.jpg
大隊長・山田少佐(三國連太郎)。 このオッサンがすべての元凶といっても過言ではありません。
弘前三十一連隊の行軍距離が240キロ。 それに対してこちらの五連隊は人数が少々多いくらいで距離は4分の1程度。
(うちの方が貧相じゃね?)
なぜか山田少佐は変な対抗意識を持ってしまいました。

うちはもっとスケールでかくやろうよみたいなことを言い出し、行軍本隊の参加人数を196名という中隊規模にした上に、調査のためという目的で大隊の14名が随行するということを勝手に決めてしまうのです。 
大隊長が言うのならそれに従わねばしょうがない神田大尉は、総数210名という大人数に膨れ上がった雪中行軍の見通しに暗い予感を覚えるのでした。

22878A1_s3.jpg
三十一連隊と比べて距離的に楽そうに見える五連隊のコースですが、実はこちらの方が難所中の難所であることを神田大尉徳島大尉からも聞いています。
2泊3日という日程も実は当初は1泊2日だったのを1日だけ下方修正したもの。 そんなに簡単にはいかないだろうと。 2拍3日でも強行日程なのですが。

行軍前の調査で田茂木野村を訪れた神田大尉は村長の作右衛門(加藤嘉)に、冬の八甲田の田茂木野から田代まで行った経験者はいるかと尋ねるのですが「そんなバカ者はいねえよ」と一蹴されます。
「一度踏みこんだら生きて帰れねえ、白い地獄だ」

それでも靴は軍靴よりもワラ靴がいいなど、装備のアドバイスをもらい、行軍当日、田茂木野まで来た際には道案内を頼むことになるという約束をしたのですが・・・・・

scroll_pic05.jpg
明治35年1月20日。 
建さん・徳島大尉率いる弘前歩兵第三十一連隊が行軍に出発。

映画をご覧になった方はご存知の通り、最終的に彼らの隊は行軍を成功させます。
一人の負傷者を出しはしましたが、240キロという長い行程を、さして大きなトラブルに見舞われることなく、ほぼ予定通りの日数でコースを踏破しました。
もちろん余裕しゃくしゃくという訳ではなく、終わった頃には、よく生きて帰って来たなというほど、全員が霜まみれの満身創痍の姿であり、それほどの難行を成し遂げたということ。
いや、命令とはいえ、ハナから無謀な行為だったのですが。

地獄の冬の八甲田を制した要因として。
何よりも、少数精鋭での編成であったこと。
万全の防寒対策が周知徹底されていたこと。
道中、民泊を幾度か挟んで体を休め、おごることなく民間の案内人を頼って難所の峠越えを乗り切りました。

922.jpg 
「軍歌ぁーっ! 『雪の進軍』、はじめーっ!」

♪ 雪の進軍 氷を踏んで ここは河やら道さえしれず~ ♪

気合が入りますな。
雪道をただただ足を動かす単純作業。 そういう時に全員揃って歌を合唱するというのは作業効率を挙げる点では効果的(だと思う)。

cce0e54f578499a35d8562048ada95fe5d2e3c0c_17_2_9_2.jpg
宇樽部から中里まで三十一連隊の道案内をした滝口さわ。
演じるは当時23歳の秋吉久美子。

当たり前だけど・・・ 若いっ! そしてカワイイ!
秋吉久美子にもこんな時代があったのですな。 いやこれは失礼。

"シラケ女優"と言われたほど、デビュー当初は愛想もクソもない、心ここにあらずな態度の人でしたけど、この頃は多少丸くなってきた頃かも。
プリップリの若さが弾ける秋吉久美子を拝むだけでも本作は一見の価値あり。

maxresdefault r 
中里で案内人・さわと別れることになった三十一連隊。
一人の少女が男たちの先頭に立って、危険な道のりを導いてきてくれたことに対して、我らが建さん・徳島大尉は何びとであろうと感謝の念を忘れません。

「気をつけーっ! 案内人殿に対し、頭(かしら)ぁーっ、右ぃーっ!」

日本の戦時を描いた映画は数々あれど、これほどカッコいい敬礼をする軍人さんの姿があったでしょうか。
いや、建さんがシブすぎるのだな。
ペコリとお辞儀をする秋吉久美子もなおカワイイ。

ちなみに、この時点ではまだ三十一連隊はまだ八甲田山に入っておりません。
さわと別れてから、三本木へまもなく辿り着く三十一連隊。
そろそろ出会うはずの神田大尉率いる青森歩兵第五連隊の姿を見かけることなく、徳島大尉は不安にかられます。
その時すでに第五連隊はもう・・・・

八甲田で出会うことを約束し、互いに楽しみにしていた徳島神田
しかし、徳島大尉は八甲田山中の賽の河原にて、意外な形で神田大尉と再会することになるのです。


e47c0bc30db8d0862967c8e8d2fb47f90b57823c_xlarge.jpg 
弘前三十一連隊とは3日遅れの1月23日に本部を出発した青森歩兵第五連隊雪中行軍隊。
彼らにこの先、地獄が待ち受けてる訳ですが。

確かに距離はさほどではありません。
途中一泊する予定の田代までは20キロくらいのもんです。
しかし、彼らはそこにさえ辿り着けずに遭難してしまうのです。

何が原因だったかというと、弘前三十一連隊とはまったく対照的で、映画を観てれば素人目にも一目瞭然。
そもそも、寒い国のロシア人と戦うために備えて、雪山を歩いて経験しておこうかという、お偉方の発案も短絡的ですが、まあそれはそれとして。

何はともあれ、雪山をナメ過ぎたこと。
いや、神田大尉はナメてなかったでしょう。
すべてはこのスーさん、いや三國連太郎演じる大隊長・山田少佐という、アホ一人が混じっていたのが原因。
55357ce2601ba92a436f1030a5f1acd2.jpg 
かなりハッキリと悪ものに描かれている山田少佐

まずは、当初小隊規模で雪中行軍をする計画を立てた神田大尉にダメだし。
弘前三十一連隊と比較した上で、五連隊の人数を増やして妙なカッコをつけたがって我を通してしまいます。
行軍の目的が「三十一連隊に勝つ」という、お門違いな方向に変わり、人数を中隊規模にしてなおも大隊が随伴する大所帯に。

おまえ、ただイキりたいだけやんけ。
そう。 軍人の諸刃の刃ともいうべき「面目」が悪い意味で勝っている男なのです。

たかだか2泊3日の数十キロだとナメてかかっていたのでしょう。
好天の平坦な道ではなく、極寒で視界も悪く、足元もおぼつかない雪道だと分かっていても、それでも日数と距離を「三十一連隊と比較」してしまったから麻痺したのではないかと思われます。 うちは全然楽だと。

200人超の集団がゾロゾロと悪条件の中を行軍する。 この大人数がどれほど危険なことか。
雪山に不慣れな人間が混じる割合が増し、ペースが保てなくなり、時間が遅れるのは最初から明白。
中には、ちょっと歩けば田代に着いて、温泉に浸かって美味い酒が飲めると気楽に構え、満足な防寒対策をせずに軽装で来た者も多かったようです。

h3.jpg 
にぎり飯が凍ってカッチカチ。 そらそやろ!
笹紙一枚で包んだだけですもんな。

「クッソー! こんなもん食えるかー!」 
気の毒というしかありません。

足元は悪い。 視界は鬼のように悪い。
腹が減る。 疲れる。
こうして集団行動はあれよあれよという間に乱れ出し、ちょっとの距離さえなかなか進みません。

そうして山田少佐の「暴挙その2」。
hakkoda kyosi mrentaro 
田茂木野まで来た時、村長の作右衛門が顔を出します。 「このまえ来た兵隊さんは?」
事前調査の際に、神田大尉が案内人の雇用を依頼していたのですが、山田少佐が対応したこの時はその場に運悪く神田大尉がいませんでした。

「神田大尉が道案内を頼んだと言うのか? 五連隊が案内人など頼むわけがなかろう。 おまえたちは案内料を稼ぐ目的でそんなことを言ってるのだろう。 戦をする者がいちいち案内など頼んでられるか」

「いや、ここから先は案内なしじゃ無理だべ」

「我々には地図と方位磁石がある。 案内などいらんと言ったらいらん」
と言って、作右衛門を帰してしまいます。

バカ! ほんっっっとにバカ!

「お~い、神田大尉」  「どうされました?」
「さっきな、案内料欲しさに「田代まで案内なしじゃ無理だ」と抜かすバカな奴が来てな。 追い返してやったぞ、ワハハハハ」
ワハハじゃねーよ。

呆然とする神田大尉
「じゃ、まあそういうことだから」と平然としている山田少佐は高らかに言い放つ。
「しゅっぱーっつ!」
出発じゃねーよ。

大隊が随行しているとはいえ、行軍とは形の上では無関係の編成組織なので、指揮権は一切神田大尉に一任されているはずでした。
これが山田少佐の「暴挙その3」。
出発した時から何かと口を出したがるような所が見えた山田少佐に、副官の伊東中尉(東野英心)は「一体どっちに指揮権が・・・」と不信を抱いていましたが、ここにきて神田大尉が完全に指揮権を奪われた形に。

Dzmv3r_UYAIuiv7.jpg 
せめて案内人さえいれば・・・・

物資を積んだソリ隊が大幅に遅れ出し、何人かが援護に回らざるを得なくなる。
隊列はほとんどバラバラの状態となる。
神田大尉山田少佐にソリの放棄を進言しますが、少佐は頑として受け入れません。

そうこうしてるうちに完全に道に迷う。 田代まではあとほんの2キロだという所まで来ているのに。
寒さの中を立ち往生。
辛抱たまらなくなった山田少佐「帰営する」と言いだします。

ところが進藤特務曹長(江角英明)が田代までの道を知っていると言いだすのです。 夏の八甲田に来たことがあると。
来たことがある? それだけ?
それを真に受けた山田少佐は帰営の途中にも関わらず、また引き返して田代まで行こうと言い出します。 これが運の尽き。
進路を大きく外れた五連隊は駒込川の峡谷に迷い込んでしまい、ここで完全な遭難状態に。

scroll_pic08.jpg 
朝令暮改と言うんでしょうか。 朝言ったことが夕方に変わるという、指示が二転三転して現場を混乱させる山田少佐は非常に悪いリーダーの見本です。

良いように言えば臨機応変の末の結果論なのでしょうが、過信の上に謙虚さもなく、その場しのぎの指図しかできなかったことが悲劇を生みます。

暗くなって動いてはいけない時に動こうと言い出す。
その逆のパターンもあり、朝まで待っていてはいけない、今動かないとダメだという時に頑固に動こうとしない。
神田大尉の言うことにはことごとく反対し、その上やることなすこと裏目裏目。

過酷な環境と疲労の限界で隊員たちがバタバタと倒れていきます。
中には発狂し、服を脱ぎ出して凍死する者や、勝手に動いては崖から滑落死する者も。

index_3.jpg 
雪濠を掘るためのシャベルを持った隊員もすでに落伍し、「ここは動ける時に動かないと」と言う神田大尉に対し、「さっきは夜のうちに動いたのが失敗だった」と認めた山田少佐は今度は「朝になるまで待つ」と譲りません。
夜が明けて、天候が回復していてくれたら・・・ 望みはそこしかありませんでした。

しかし。
1月25日の朝。 天候は回復せず。
ここであのセリフが。

「天は我々を見放したぁーっ!」


その頃。
三本木に先に到着したのが弘前三十一連隊である連絡を受けた青森の本部ではようやくここで五連隊の遭難を知ることになります。
一方で三十一連隊は八甲田山に突入し、鳴沢の付近で神田大尉の従卒にして、斉藤伍長(前田吟)の弟である長谷部一等卒(佐久間宏則)の遺体を発見し、徳島大尉もまた第五連隊の遭難をここで察知します。

斉藤伍長は弟を背負って帰りたいと懇願しますが、隊の安全や後先を考えれば置いていかざるを得ません。
のちに救助隊が収容すると諭された伍長は泣く泣く行軍を続けることに。

entry-image_466-2-750x336-1.jpg 
徳島大尉は賽の河原にて第五連隊の複数の遺体を発見。
その中に、神田大尉の亡きがらも。

神田大尉は江藤伍長(新克利)に、地元住民の力を借りて救助を要請するために田茂木野まで行かせ、伍長を見送った後、彼は遭難の責任を取って、舌を噛み切って自殺していたのでした。
Cwq9CUvUQAAM1P_.jpg 
徳島大尉神田大尉の死に顔を見ているうちに、まるで彼が労をねぎらってくれてるかのような幻影と対話をするのでした。

ここまでさぞや大変だったでしょう・・・
この先もどうぞ気をつけて・・・


増沢から道案内をしてくれた熊ノ沢部落の4人の男たちに「八甲田で見たことは一切口外してはならない」と諭した徳島大尉は悲しみを押し殺しながら、田茂木野に到着し、遺体安置所で神田の妻・はつ子(栗原小巻)に会います。
そばには神田大尉の遺体が・・・。

実は賽の河原で徳島大尉神田大尉の遺体と対面した日の前日には、すでに神田大尉の遺体は安置所に運び込まれていたのでした。
では、徳島大尉が賽の河原で見たのは・・・・?

神田大尉は約束を守ったのです。 守りたかったのでしょう。
「八甲田で会いましょう」
彼の魂は遺体を収容された後でもその地に残り続け、じっと徳島大尉を待ち続けていたのだと思います。

mpv-shot0001-1.jpg 
「夫は『八甲田で三十一連隊の徳島様に会うのが今回の雪中行軍の楽しみ』と申しておりました」はつ子が伝えました。
それを受けて、「まちがいなく自分は、雪の八甲田で会いました」と告げる徳島大尉

神田大尉の熱き思いに触れて泣きむせぶ徳島。

「男泣き」  ・・・・日本映画界の長い歴史において、これほどグッと来る男泣きを見せてくれる役者はいまだ高倉健ただ一人しか存在せず。
大和民族のDNAを揺さぶる、「日本男児の男泣き」の真髄ここにあり。


ラストは遭難事件から推定60年後といったところでしょうか、杖をついた一人の老人がロープウェイに乗って八甲田山系を見つめるシーンで終わります。
青森歩兵第五連隊第二小隊所属で雪中行軍に参加していた村山伍長(緒形拳)です。 今はすっかりくたびれた老人です。
Ct-e-_5XYAAu8wk.jpg
彼はあの時、バタバタと隊員が倒れていく悲惨な状況下で、「自分は思い通りに歩く」と言って隊を離れて単独行動に出たのでした。
結果、五連隊の最初の目的地だった田代温泉に辿り着いたのは村山伍長一人だけ。
ただ、彼は凍傷で左腕を失いましたが。

どんな思いで彼は八甲田を見つめているのか。
自分たちは何をして、何を残し、何を得たのか。
戦争でも天災でもないのに多くの若者が命を散らした、あの雪中行軍とは一体何だったのか?

1117Roei.jpg 
この映画は原作自体が史実とは異なる点も多く、ほぼその原作通りの映画化なので人間ドラマの部分は創作です。
しかしそれも踏まえた上で、この悲惨な事故の物語は観るものに強烈な衝撃と、やり場のないセンチメンタルをかき立てずにおられません。

雪山の怖さも確かにそうなのですが、集団行動の歯車が狂った時の恐ろしさが、滑稽さも併せながら実にリアルに描かれている所がこの映画の秀でた点です。
こういった、集団行動が頓挫する物語自体が珍しく、それでいて実際の出来事を題材に、こうして人間の愚かな部分をあぶり出した集団崩壊劇を見せつけるこの映画は我々に新鮮な訓示を与えてくれます。
人災と言っていい、この悲劇から反面教師として学べることを多々あります。

自信と過信は紙一重です。
集団のリーダーは無論、自信を持つのも大事ですが、それが過信なのかは本人では気づきにくいのが怖いところです。
もちろん神田大尉はしっかりとした人であり、元凶は力関係を自己制御せずに出しゃばり過ぎた山田少佐にあります。

勉強が不十分なのに、根拠もなく楽観的でいられて、周りにおごり高ぶる。 そんな人物が一人いただけで組織の計画も行動も簡単に瓦解するのです。
決して多い種類の人間ではないですが、チームワークを築くのはチームという形を先に作ってからでは遅く、チームワークに適した人材を選り分けてからでないと、集団の統率は思い通りにいかないのです。
22878A1_s4.jpg 
人数編成や、防寒対策の周知、指揮系統の徹底、案内人の件など、あの時ああしてればというタイミングの悪さも重なり、どんどん状況が悪化していく五連隊。

神田大尉が何もしなかった訳でもなく、倉田大尉(加山雄三)という、冷静で大局的に物事を判断できる人もいながら、安直な発案や計画性の甘さ、自信過剰な男の場あたり的な指示が多くの命を地獄に引きずり込みました。

この物語には、単なるリスクマネジメントのメッセージだけではなく、日本が太平洋戦争へと踏み込んでいった原因、不利な戦況を認めずに泥沼化させた原因、そして戦争に負けた原因が、この八甲田山大量遭難事件の中に集約されているように思えます。

日清、日露と勝って、アメリカをナメてかかった訳ではないでしょうが、負け戦と分かっていても引き返せずに多くの犠牲を出した当時の日本のイケイケドンドンの悪い所が、すでに明治の頃に予兆としてあったということです。

conv0002-358f3.jpg 
今回、4Kデジタルリマスターで公開された「八甲田山」ですが、フィルム劣化した名作を甦らせてくれる技術の粋に感謝。

この映画はマジの冬の八甲田で撮影されており、3年に渡るロケは非常に困難を極め、照明効果があまりいい出来ではなかったことをカメラマンの木村大作氏も認めております。
それゆえに逆に迫力が出ています。

キャストもスタッフも必死で作り上げた過酷な作品ですが、実際そのキツさゆえに数名の俳優がトンズラしたそうな。
発狂して裸になって凍死する兵士役の原田君事の顔がこげ茶色に変色するのはメイクでも何でもなく、凍傷寸前の症状だそうです。
健さんも軽い凍傷になったと聞いております。

それほど昭和の日本映画は本気を出したら、えげつない力作を生みだすパワーを持っていたのです。

20141121220605fc1.jpg 

「賢人のお言葉」
 
「勇気と力だけがあっても、慎重さを欠いていたら、それは無に等しいということを忘れないでいてほしい」
 エドワード・ウィンパー
スポンサーサイト



他にもこれ観ました 7月編 Part1 | トップページへ戻る | ハウス・ジャック・ビルト

このページのトップに戻る

コメント

このページのトップに戻る

名前
題名
メールアドレス
WEBサイト
 
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップに戻る

トラックバック

このページのトップに戻る

プロフィール

オハラハン

Author:オハラハン
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

カテゴリ

ご意見・ご感想はこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター

ブロとも一覧

月別アーカイブ

09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02