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他にもこれ観ました  ~9月編(下)
2017年10月09日

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「あさがくるまえに」

臓器移植。 そこにはドナー(提供する側)とレシピエント(受ける側)、双方の家族、そして医師、コーディネーターなどの様々な葛藤のドラマが生まれます。

日本では臓器移植の定着はかなり遅れていますが、人口が日本の約半分であるフランスの臓器提供者数は日本の25倍。
生前に拒否の意思表示をしてなければ、推定同意制度により、誰もが原則的にドナーとして扱われるというお国柄なので当然かもしれません。
そんなフランスから届いた、臓器移植についてのヒューマンドラマ。
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青年シモンは夜明け前、まだ恋人が眠っているベッドからそっと脱け出して友人とサーフィンに出かけた。
しかしその帰り道、交通事故に巻き込まれたシモンは搬送先の病院で脳死状態と判定される。
駆けつけた両親は動揺を抑えられない。
医師はシモンが蘇生する可能性は無いことを両親に説明し、臓器の提供を持ちかける。
「息子さんの気持ち、答えを見つけませんか?」
「おまえは子持ちか?何が分かる」
停まってしまった心臓は移植はできない。 猶予は1日。 翌日の「朝が来る前に」。

一方、パリに暮らす音楽家の女性クレールは心臓の変性疾患の末期にある。
二人の息子は移植を強く勧めるが「誰にでも寿命がある。人の心臓を使ってまで・・・」と言いながら、老いた自分が延命することの意味を自問自答する。
そんな時、担当医からドナーが見つかったという報せが入るのだが・・・
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臓器移植は時間との闘いでもあり、物語は登場人物の24時間を描いています。
上映時間が104分というコンパクトさの中に、当事者たち各々の葛藤の風景がつぶさに描かれており、抑えたタッチであるにもかかわらず、感情を十分に刺激します。
それでいて観ている側にも問いがしっかりと投げかけられるのですが、やはり命の問題は重いですね。
これは日本人の良いところなのか悪い所なのか、やっぱりどうしても考えすぎてしまいますし、本人の意思表示がなかったら臓器提供には二の足を踏むのが遺族としては普通の感情でしょう。
だからこそ生前の意思表示は大事ですね。 この映画を観ていると、それはすごく痛感しますねえ。 意思表示カード持ってたけど、どこかに行っちゃったなあ。

移植コーディネーターのトマがシモンの耳にイヤホンを差し込んで波の音を聴かせてあげるシーンがジーンときます。
シメに流れるデヴィッド・ボウイの「5年間」もいいっすね!
        

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「オン・ザ・ミルキー・ロード」

久しぶりのエミール・クストリッツァ監督。 「ウェディング・ベルを鳴らせ!」以来10年ぶりの劇映画です。
この監督さんの映画は動物がたくさん出てくるのがトレードマークですが、本作も、ま~~~出るなんてもんじゃない。えらいことになってます。
予想のつかないハチャメチャな展開も相変わらずですねえ。
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隣国と戦争中のある国の、ある村。
コスタは毎日傘をさしてロバに乗りながら、銃弾をかいくぐって兵士たちにミルクを届けている風変りな男。
そのコスタを雇っていいるミルク屋の娘ミレナは村のマドンナ的存在だがコスタに想いを寄せている。
兄のジャガがまもなく戦場から帰ってくるが、ミレナが難民キャンプから見つけ出してきた女性と結婚する予定になっている。
それに併せて自分もコスタとダブル結婚式を挙げるのがミレナの夢だ。
だがそんなミレナの求愛にもコスタはまるでどこ吹く風。
やがて花嫁がミレナの家にやってきた。
コスタは彼女と出会った瞬間に惹かれあう。
休戦協定がしかれて村にしばしの平和が訪れるが、過去に花嫁を愛した多国籍軍の英国将校が花嫁を手に入れようと特殊部隊を送り込んでくる。
村は焼き払われて村人たちは死んでしまうが、運良く生き残ったコスタは花嫁を連れて決死の逃避行を開始する。
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ユーモアにあふれ、反戦のメッセージも込めながらのラブストーリーが賑々しく繰り広げられます。
とにかく動物! やたらに動物!
この監督さんは動物愛のカタマリなのかというと、そうだとも言えるしそうではないとも言えます。
動物は作中では象徴的なものとして扱われており、有り得ない動きをするものも出てきますし、悲惨な死に方も遠慮なく描かれます。
オープニングから豚が料理のためにさばかれるシーンですからね。 豚の血でタップタプの桶!エミール健在です。
ダンスをするハヤブサ。 ミルクを飲む蛇。 コスタと頭突き相撲するヤギ。 熊にオレンジを口移し。これCGではないそうです。
他にもガチョウ、犬、ニワトリ、ロバ、蜂・・・
極めつけは地雷に吹っ飛ぶ羊の群れ。 羊がボーン!羊がボーン! こんなゲームがあったような。 このマンガみたいなシーンはちょっと笑っちゃいましたね。
なんか無茶しまくってますが、この面白さは異色です。
ラストのビッグスケールの積み石もこれまた意外。
        

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「エイリアン:コヴェナント」

「エイリアン」の前日譚にして「プロメテウス」の続編。
「プロメテウス」では人類を創造した"エンジニア"という異星人が登場。 エイリアンもまたこのエンジニアが創り出した生物兵器だったことが判明。
「エイリアン」のスペースジョッキーの姿がエンジニアの宇宙服だったというのも驚きでした。

「プロメテウス」はタイトルから「エイリアン」のワードが外れていることからもお分かりの通り、従来のモンスター・ホラーからは離れて、「何故そうなったか」を物語ることに重点が置かれていました。
それでも「そこで終わり?」みたいな消化不良は否めず、さらに謎は残りました。
というわけで、「プロメテウス」から10年後という設定の続編はタイトルに「エイリアン」が戻ったように多少原点回帰の色は出ています。
とはいえストーリーラインは「エイリアン」や「プロメテウス」と似通ったもので、そこらへんの新鮮味はないですね。

人類が居住可能な惑星「オリエガ6」に向けて宇宙を航行するコヴェナント号。
15名の乗組員、2000人の入植者、1104体分の胎芽を乗せて目的地の到着まであと7年のところまで来ていた時、ニュートリノ爆発のフレアの影響によりコヴェナント号は甚大な損害を負う。
回復した通信システムが謎の電波を受信。 発信源は現在位置に近い恒星系の第四惑星。
その星が居住可能領域であると判明、しかも2週間で到達できることから、予定を変更して第四惑星へと向かうことに。
そこは地球とほぼ同じ環境で、「宇宙の楽園」と期待されたが実はそこには・・・・という定番のパターン。 まあ、そこはいいでしょう。

グロさもあり、ホラー食も強くなっていますし、ギリシャ神話、聖書、ワーグナーの「ヴァルハラ城への神々の入場」、パーシー・シェリーの詩「オジマンディアス」、フランチェスカの「キリストの降誕」など、そこに隠された意味を知ればなお面白い示唆がちょこちょこ出てきます。

これぞ「エイリアン」というサービスも十分。
あの卵とフェイスハガーは何度見てもキショい。 ビッグボーイも登場!(ステーキ屋さんじゃないよ)

悪くはないけど何かが足りないような。
ざっくりとした説明はあるけど、本作と「プロメテウス」の間にあるストーリーが欠けているのが痛い。
YouTubeにあがってる特別短編映像「プロローグ:ザ・クロッシング」を観たって、あんまり意味はないね。
アンドロイドのデヴィッドが「人間が自分を創ったけど、人間だってエンジニアに創られたもんでしょ? おまえ、俺に何を偉そうにしてんの? おんなじ創造された側のくせしてさ。 いいよ別に。 今度は俺が創造主になるから」ってな暴走を始めたのは分かりますけど。
ラストは救い難い怖さ。 まあ、デヴィッドがウォルターになりすましているのは分かりましたけども。 でもウォルター弱すぎじゃね。
        

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「スイス・アーミー・マン」

ダニエル・ラドクリフが死体の役を演じることで話題のハートフル・アドベンチャー。
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無人島で助けを待つハンク(ポール・ダノ)は絶望のあまり、自ら命を断とうとしていた。

もう疲れちったよ、俺。 こんな所で人生終わるとはなあ。
木の枝にロープをどっこいしょっと引っかけて、このまま首をくくってこの世とはオサラバだ。
おっ?波打ち際に誰か倒れてる。 
おい、大丈夫か、アンタ!しっかりしろ!・・・て、死んでるんかい!
なんだよ、死体に用なんかねえよ。 何の役にも立たねえのによ。
それにしても若いな。 何があったか知らんが気の毒だな。 まあそんなことはいいや。
あ~あ、首吊りのやり直しだ。
BOOO~
何の音? あ~、死体からガスが出てんのか。
みっともねえな。 死体のくせに屁こいてんじゃねえ。
死んだ後でも恥さらすなんて、ああはなりたくねえな。
BOO~ BOO~ BOO~ BOO~ BOO~・・・・・
うるっせえなあ。 首も吊れねえじゃねえか。
屁をこいてる反動で死体がヒョコヒョコ動いてやがる。 シュールだけどキショいにもほどがあるぞ。
お~お、屁の力で死体が海に戻って行ってるぞ。 なかなかおもろい光景だ。
・・・・・これだ! そうか、その手があったか。
あの屁の推進力ならジェットスキー代わりになるかも。(ならねえよ普通は)
よ~し!これで無人島から脱出じゃい!

・・・こうしてハンクは屁をこく死体を使って故郷を目指すのでした・・・・で終わる話ではありません。 ここまではまだ映画の序盤中の序盤。
もちろん生還など果たせるはずもなく、あえなく水没してしまったハンクと死体はまた別の島まで流されてしまいます。 本題はここから。

この死体、意外と使える奴です。
*雨水を体内に蓄えられ、胸を押すと水を吐き出す。(飲むんかい)
*死後硬直した腕は斧にもなる。(南斗聖拳か)
*小石を口に詰めてガスを逆噴射すれば銃弾となって狩りにも最適。(もうガスはいいって)
*何よりも、喋り出す。(ええっ!) ゾンビ? それともハンクの妄想の別人格? ここらへんが不明。
*エロ本を見せたら勃起する。 *そんでもってチンコが方位磁石にもなる。「まあ便利!」(便利じゃねえよ)
映画のタイトルはつまり、この死体がスイス・アーミー・ナイフ(十徳ナイフ)のような男だから。「うまいっ!」(うまいじゃねえよ)

死体が喋り出すファンタジックな展開の後半からは、主人公の秘められた深い悩みとその克服のドラマが瑞々しく描かれるのですが、一にも二にも、このトーンの落差についていけるかどうか。 あんまり深く考えてはいかんのですね。 
若くして母親に死なれ、父親から「低能」と蔑まれ、死んでるような青春を送ってきた男が、死んでるけど役に立つ男との不思議な交流を通して再生していく。 愛すべき小心者へのエール。 バカバカしいのにほっこりさせてくれます。
        

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「プラネタリウム」

『And you, what would you do for love?』(あなたは、愛のために何をする?)
ナタリー・ポートマンのディオールのCM、カッコいいですねえ。

1930年代、降霊術を披露して人気を集める姉妹の愛と夢の歪みを描く、ミステリアスかつロマンチックなドラマ。
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ナチスがヨーロッパで台頭しはじめた1930年代。
姉のローラ(ナタリー・ポートマン)、妹のケイト(リリー=ローズ・デップ)のバーロウ姉妹はアメリカ人のスピリチュアリスト。 二人は憧れのパリのツアーへ向かう。
二人が見せる“ショー”は降霊術。
妹のケイトが自分の体に霊を憑依させて相談者の悩みに答え、そばで姉のローラがサポートとナビゲートを担当している。 ホンモノかインチキかどうかはともかくとして。
パリでも人気を集めた彼女たちにフランス人映画プロデューサーのコルベンがセッションを希望してくる。
不思議な体験をして、いっぺんに2人に惚れ込んだコルベンは、2人の降霊術を映画にすることを思いつく。
妹はプレッシャーからか上手く演じれない。 もともと野心満々だった姉はノリノリで女優の才能を開花していく。
「君たちが来てから人生が変わったよ」と言ってくれるコルベンにローラは惹かれていくが、実はコルベンの興味は降霊術の才能がある妹だけで、ローラは嫉妬の炎を燃え上がらせていく。
コルベンはコルベンであまりにこの姉妹の映画作りにのめり込みすぎたために映画会社からプロデューサーの地位を追われることになる。
やがて起るひとつのアクシデントが、逆に姉妹とコルベンの絆を深めていくが、ヨーロッパに次第に押し寄せるファシズムの波に3人の運命が呑み込まれようとしていた・・・
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バーロウ姉妹は、17世紀にアメリカに実在したフォックス三姉妹をモデルにしています。 けっこう有名な姉妹ですが、のちのち降霊術について、姉の企んだ詐欺だと妹に暴露されています。
一方のコルベンも、実在したプロデューサー、ベルナール・ナタンがモデル。
ニワトリのモビールでおなじみの映画会社「Pathe」の経営者だった人で、不正融資やユダヤ人であることを隠そうとしていたことを咎められて失脚。アウシュヴィッツに送られて亡くなったとされています。

フォックス三姉妹とナタンは年代も違うので、この映画自体もちろん全編フィクションなわけですが、彼らには「見えないものを見せようとして詐欺師呼ばわりされた人物」という共通点があります。
そこに目をつけてひとつの物語にしてあるアイデアはいいのですが、映画としてはヒジョーに退屈でした。
何か起こってるのに何も起ってないような単調なトーンに終始しています。
もう少し、演出面で遊んでほしかったですが、それでも物語そのものにあまりそそられませんでしたね。
回想形式であることを説明した冒頭のシーンも余計ではないかと。
        

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「パーフェクト・レボリューション」

生まれながらにして脳性麻痺による四肢の痙性麻痺を抱える障害者・熊篠慶彦。
障害者の性的幸福追求権を訴えて、様々な活動に取り組んでいる熊篠氏の実体験を基に描くラブストーリー。
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主人公はリリー・フランキー演じるクマ。 重度の障害があり、車椅子生活を送りながらも障害者の性に対する理解を深めてもらうなどの講演や本の執筆活動をしている。
そのクマが出会うのがミツ(清野菜名)という派手で元気ハツラツな風俗嬢。
クマを「クマピー」と呼んで慕い、猛烈にアプローチする彼女には実は精神的な障害がある。
周囲の偏見や、いつ壊れるかもしれないミツの不安定な心など、二人の恋はそれこそ障害だらけ。
だがそれにもめげず、本当の幸せを世界に証明するために、ハードルを少しずつ乗り越えて二人の絆は深まっていく・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「障害者だって恋もするし、セックスもしたい。障害者はただの人間なんです」
これを言いたいドラマだというのは分かります。
また、ハンデを抱えた者同士だって、愛し合って幸せになれることを証明してみせるのだという恋愛ドラマだというのも分かります。
フランスの大ヒット映画「最強のふたり」の男女カップルバージョンという趣きなのでしょうが、それをちょっと意識しすぎた感もありますかね。
リリーさんも菜名嬢も良かったですし、小池栄子もまた凄い存在感がありました。

しかし、物語に多少センセーショナルな刺激を加える意図なのか、あからさまに偏見を露わにする“悪役”的なキャラクターが逆に嘘っぽくなってしまいましたね。 ここがどうにもシラけてしまいました。
今時、「スカッとジャパン」に出てくるような、陰険な言葉を吐く奴はそうそういないと思いますがね。
「障害者が来るような店じゃねえ」みたいなことを言うレストランの客。
「二人が幸せになれるはずがない」と口を揃える親せき連中。
「障害者はもっとかわいそうな感じで」と、お涙頂戴を欲しがるテレビ番組スタッフ。
こういう嫌な思いをしたということを言いたいのも分からんでもないですが、そこよりも、障害者だってヤリてえというテーマにもっと寄せてほしかったというのが個人的な印象。
障害者に対して、どうしてもかしこまって神格化するような目線。 また、そういう風に障害者と接する態度こそが偉いんだと満足する社会の風潮は変えねばなりません。
それこそが「完全なる革命」ではないでしょうか。
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