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他にもこれ観ました  ~3月編(上)
2017年03月23日

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「東京ウィンドオーケストラ」

「力のある監督が撮りたい映画を自由に撮る」、「新しい俳優を発掘する」をテーマに松竹ブロードキャスティングが立ちあげたオリジナル映画プロジェクト。
第1弾が沖田修一監督の「滝を見にいく」、第2弾が橋口亮輔監督の「恋人たち」。 そして第3弾となる本作はこれが初めての商業映画デビューとなる新人・坂下雄一郎の監督作。
有名なオーケストラと間違われて、コンサートの演奏に招かれたアマチュア楽団と、ミスに気づいたものの何とか本物で押し通そうとする役場の女性職員が巻き起こすホノボノコメディ。
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舞台は屋久島。 屋久杉で有名なあの屋久島である。
島の町役場の職員、樋口詩織(中西美帆)は毎日の単調な仕事の繰り返しに息のつまる思いをしている。
しかし、この日だけは役場の空気が違う。
海外公演もするほどの、日本を代表するオーケストラ「東京ウィンドオーケストラ」がこの屋久島にやってくるのだ。
観光課の橘課長念願の企画であり、樋口はその担当を任されていた。

一方、鹿児島港から屋久島に向けてフェリーに乗り込む10人の男女。 彼らは都内のカルチャースクールのアマチュア楽団だった。
楽団員たちは、なぜ自分たちがコンサートなんてものに呼ばれたのか怪訝に思いながらも、観光気分でハイテンションになっていた。
宮之浦港に到着した一行を出迎えた樋口。 10人だけとは意外に少ない。オーケストラってもっと数十人ぐらい来るのでは? しかもコンサートよりもなんだか観光をエンジョイしに来てるような軽いノリは何だろうかと不思議に思ったものの、せっせとスケジュールをこなすことにする。

一泊何万円するのかというようなホテルの個室に面食らい、役場の課長が「大ファンなんです!」と嬉し涙を流しながら歓迎する姿に不審を覚えた一行。
やがて彼らは自分たちが間違えられて呼ばれたことに気づき、一方で樋口も大きなミスに気づく。
有名な方の楽団は『東京ウンドオーケストラ』。
島にやってきたのは『東京ウンドオーケストラ』。 『』と『』の一字違いの勘違いで、うっかり庶民の“趣味の集まり楽団”を呼んでしまった樋口。
引っ込みがつかなくなった一行がこっそり逃げ出そうとするのを引き止めた彼女は決断する。
「このまま本物ってことでいきましょう。」
「いやいや、そんなムチャクチャな。 絶対バレますよ。」
「聴きに来るのはどうせ素人ですし、なんとかなるでしょう。 第一もうギャラは支払ったんですから、あなたたちこのまま帰れませんよ。」
「そんな・・・。 だいたいアンタのミスでこうなったんだろ。」
だが、「一度でいいからあんな大きな会場で演奏してみたかったんだよなあ。」という声も出始め、渋々ながらも本物のフリをすることになった楽団員たち。
それでもムチャはムチャ。 なんせ島の高校の吹奏楽部の足元にも及ばぬズブの素人集団である。
なんとかなるのか、いやあ、なりはしないだろう。
無情にも開演時間は刻一刻と迫っていた・・・・
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よくある勘違いコメディの王道話。
コンサートは商工会主催で有料の様ですし、冷静に考えれば、嘘をついて客からお金を取ったらまずいでしょうね。
まあそういうことは抜きにして、勘違いから派生していく嘘の上塗りのてんやわんやを気軽に楽しめればいいのです。
毎日同じことの繰り返しに虚無感を覚えていたヒロインが出会うのは、楽器を今さら習ったって大きな夢が叶うわけでもないのに、それでも好きなことにコツコツと打ち込んできた人々。
最初の意図は違うけれど、こんな人たちにもスポットライトが当たってもいいんじゃないかという想いに動かされていくヒロイン。
演じる中西美帆の終始ムスッとしていた表情がラストでほんのかすかにゆるむ時、誰の人生にも時には大きな夢のウインドが吹くのだという温かみを感じさせてくれます。
        


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「彼らが本気で編む時は、」

「かもめ食堂」、「トイレット」などの荻上直子監督の待望の最新作。
トランスジェンダーのリンコ(生田斗真)と恋人のマキオ(桐谷健太)のカップルの生活に転がり込んできた、母親から愛されない孤独な少女トモ(柿原りんか)。
共同生活を始めた3人がそれぞれの幸せを見つけるまでの60日間の物語。

監督の荻上直子は20代の頃、アメリカで6年間映画製作を学んだのちに帰国。
それから12年後にダンナさんと双子のお子さんと共に文化庁新進芸術家派遣制度で1年間ニューヨークに留学。
この時、監督が日米の違いで感じたのは「ゲイ率」の差だそうで。
アメリカではそこらを歩けば普通にゲイの人に出会う。 「まあそりゃアメリカだから。」
そして日本に帰ってきたら、ゲイの人にはまず出会うことがなくなった。 「まあそりゃ日本だから。」
再びアメリカに渡ると、ゲイの人が当然周りにいて、ゲイの友人もたくさんできる。
そして再び帰国して「ゲイ率」が下がった。 しかし監督は、前回とは違って「日本だから」とは思えなかったそうだ。 ものすごく違和感を覚えたそうである。

ゲイの存在は自然のこととして受け入れると違和感があると言う。
テレビではあんなに「オネエ」とカテゴライズされた人たちが活躍しているのに普通の生活をしていても出会わない。
この国では水商売か芸能人にでもならない限り、いまだに存在しづらいのではないか、そのことを公表して普通の生活をするには多くの弊害があるのではないか。 そんな違和感がふくらみ続けたある日に、新聞記事で知ったある親子のことを知る。
“次男”として生まれた彼女は幼少期の頃から女の子の服を欲しがり、中学生の時には「おっぱいが欲しい」と言った。
お母さんは「あなたは女の子だもんね。」と胸につける「ニセ乳」を一緒に作ったという。

女の子になった息子を自然のこととしてしっかりと受け止める母親に感銘を受けて、直接そのお母さんに会いに行って話を聞いた荻上監督。
アメリカ在住時代を通しての違和感やニセ乳を作ったお母さん、自身が双子の母になったことなど、それらの想いを映画にしようと決心して生まれたのが本作。
決してマイノリティとしてのトランスジェンダーの人たちへの同情を求めるような苦労話ではありません。
付いてるモノは違えど、自分らしく当たり前に生きている人への讃歌です。

生きづらい社会や、自分の力だけではどうにもならないことに対して耐える想いを抱え込み、それらを編み物に込めていくリンコの、自分を見失わないバイタリティが生き生きと伝わります。
母親になりたくてもなれない葛藤は、母親に愛されないトモとの出会いによって束の間の疑似親子の愛情に移り、やがてはまた帰るべき道に帰っていくのですが、トモの母親が迎えに来た修羅場のロングカットのシーンが引き込まれますね。

生田斗真も素晴らしいと思いますが、子役の柿原りんかちゃんもお見事ですよ。
桐谷健太は毎日のように見るauのCMの印象が強いので、本作の抑えた演技は新鮮に映ります。
「受け入れます、全部。」のセリフがグッときます。

「ビール発明した人にノーベル賞あげた~い。」もいいですね。
        

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「ラビング 愛という名前のふたり」

“LOVING”というタイトルは実在した主人公夫妻の名字。
アメリカの多くの州で白人と黒人の異人種間結婚が禁じられていた時代。
過酷な試練のもとで愛を貫き、やがては国を動かして法律が変わるまでに至った一組の夫婦の純愛を描く物語。
監督は「テイク・シェルター」のジェフ・ニコルズ。

白人の夫リチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)、黒人の妻ミルドレッド・ラビング(ルース・ネッガ)。 ともにバージニア州セントラル・ポイント出身の同郷。
二人のなれ染めまでは触れられていませんが、世間からは許されない関係だと分かっていても愛を育んできた二人が正式に結婚したのは1958年。 ミルドレッドの妊娠がきっかけでした。
しかしバージニア州では白人と黒人の結婚は違法。 その際、二人は異人種間結婚が認められているワシントンD.C.にまで車を飛ばして届けを出した上で、バージニア州で生活を始めます。 これはちょっとしたズルなんですが。
もちろん保安官に言わせれば結婚許可証があっても「ここでは通用せん。」と、二人は逮捕されてしまいます。

司法取引の上に裁判所が出した判決は、1年間の服役の執行猶予と共に、25年間は二人揃ってバージニア州に戻ってはならないというもの。
ワシントンD.C.の親戚の家に移り住んだ夫妻ですが、出産はどうしても夫の母のもとで産みたいというミルドレッドの願いを受け入れて密かに帰郷。
子供は無事生まれますが、やはり保安官にばれて再逮捕。 いよいよ刑務所かという時に弁護士さんの優しい嘘で救われるのですが、もうこんな危険は冒せません。

その後、6年間で3人の子供に恵まれながらワシントンD.C.で暮らすのですが、息子が街頭で遊んでいて交通事故に遭います。 幸い軽傷で済んだのですが、いつも控えめだったミルドレッドが子供たちが安全に走り回れる田舎に帰りたいと主張し、二人はまたしてもバージニアに戻り、再逮捕に怯えながら周りに何もない農場の一軒家でひっそりと暮らします。
やがて、ミルドレッドがケネディ司法長官宛てに送った手紙がアメリカ自由人権協会を経て、一人の弁護士に渡り、ラビング夫妻の自由を求めるための司法の闘いが始まります。


この物語をありがちな法廷劇に仕立てなかったのは正解。 結果は知ってますからね。
そもそもラビング夫妻、特に夫のリチャードの方は裁判自体にあまり期待しておらず、(一度も?)出廷してませんのでね。
二人が家族の生活を守っていくために支え合った姿を重点に描いていますが、実話だから突っ込んでもしょうがないとはいえ、この二人ももう少しやり方を考えたらよかったのでは?と思いますね。
とにかく生まれ故郷の「バージニア・愛」がハンパなく、違法でも住みたいんですな。 いや法律がおかしいというのは分かりますがね。
ワシントンD.C.からセントラル・ポイントまではそんなに離れていませんし、そこらへんは妥協してたら?と思いますが、やはり彼らの頑なな愛がなければ司法も動かなかったかもしれませんので、なんとも言えないですね。

リチャード・ラビングは1975年に飲酒運転の車にはねられて亡くなっております。
2008年には奥さんのミルドレッドも他界。
「リチャードのことがとても恋しい。彼は私のことをいつも守ってくれました。」という言葉を遺しておられます。
まさに「愛」という名前のふたりですね。
        

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「アサシン クリード」

ゲームの映画化? まあ、今はほとんどゲームってやらないから存在さえ知らんけど、マイケル・ファスベンダーが製作に加わるほど気合パンパンで作られたアクション超大作。
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人間の自由意思を守ろうとする「アサシン教団」と、自由を制限することで人類を支配しようとする「テンプル騎士団」の間では、伝説の秘宝"エデンの果実"を巡る戦いが古来より500年以上にわたって繰り広げられていた。
"エデンの果実"とは人間の暴力性を取り除くパワーがあるのだが、人間の自由な意思も失わせることになる。 故にテンプル騎士団が長年にわたってその在り処を探し続けており、対立しているアサシン教団もそうはさせじと争奪戦が密かに今も続いているのだ。
2016年。 殺人の罪で死刑になったはずのカラム・リンチ(マイケル・ファスベンダー)は、生かされたままテンプル騎士団の派生組織であるアブスターゴ財団のリハビリ棟に連れて行かれる。
そこでDNAに保存されている遺伝子の記憶を呼び起こし、祖先の行動を三次元の世界で追体験できるという画期的な装置"アニムス"を接続され、ルネサンス期のスペインでアサシン教団の一員として活躍していたアギラール・デ・ネルハの記憶を追体験することになる。
歴史上"エデンの果実"を最後に目撃したとされるアギラールの子孫であるカラムが記憶にシンクロすれば果実の手掛かりがつかめるのではという財団の思惑である。
"エデンの果実"の真実に迫る重責を課せられ、幾度となくアギラールの記憶に入り込むうちに、カラムの精神はどんどんアギラールとシンクロしていく・・・・・
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いやあ、これは失敗しましたね。
アッシが? 作品が? 両方です。
少なくともある程度の予習は必要です。 ゲームを知っていれば文句なしなんですが、知らない人は予備知識を出来るだけ詰め込んで観た方が傷口は浅くてすむでしょう。
アッシは全く何の準備もない“一見さん”状態で観に行きました。
最初はウンウン、フムフムと興味深く観てたんですが途中から・・・・・
全然、話が入ってこん!
なんじゃ、このつまらなさは・・・。
予習しときゃよかったかと後悔してもあとの祭りのサブちゃん節。
しかし、それを差し引いてもだよ。
マイケル・ファスベンダーのぬるっぽいアクションは大目に見るとしても、説明の省き方が悪質な手抜きに映るような、非常に出来の悪い脚本なのは確かです。
続編ありきで練ったプロットのためか、グズグズな話のまま締めたのもいただけませんな。
本国じゃ興行成績イマイチで、批評家からもクソミソに叩かれてるので、本当に続編やるんでしょうか?

それにしてもエンドロールがアホほど長いな!
参加しているVFXスタジオの数が凄いことになっとるで。 ちょっとわろてもうたわい。
        

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「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

「ダラス・バイヤーズクラブ」、「わたしに会うまでの1600キロ」のジャン=マルク・ヴァレ監督の最新作。
妻を亡くしても悲しめなかった男の感情と人生の再生をジェイク・ギレンホール主演で描く物語。
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30代で出世コースノリノリの銀行員デイヴィス・ミッチェル(ジェイク・ギレンホール)は朝、妻の運転する車で出社する途中で交通事故に遭った。
追突された運転席側の妻はあっけなく亡くなり、助手席側のデイヴィスはほとんど無傷で済んだ。
ところがデイヴィスは妻が死んだというのになぜか全く悲しみが湧いてこないことに戸惑っていた。
病院で妻の死を聞かされた直後でも小腹がすいて、シリアルバーの自販機に金を入れたが商品が出てこないことに苛立ち、自販機の会社の連絡先を必死でメモっている。 こんな調子である。
妻のことを本当に愛していたのだろうか? 自分の心はどこに行ってしまったのだろうか?
職場の上司であり、義父でもあるフィル(クリス・クーパー)から「心の整理には点検して組み立て直すことだ。」と言われたことがきっかけとなり、彼は身の周りの物を破壊し始める。
カプチーノ・マシン、会社のトイレ、パソコン、自宅の冷蔵庫・・・。

彼が自販機の会社に宛てた苦情の手紙には、妻を亡くした悲劇のことまで書いてあったのだが、それがきっかけで顧客担当責任者である女性カレン・モレノ(ナオミ・ワッツ)と知り合うことになる。
シングルマザーであるカレンもまた、やり場のない不安の中で日々を送っていた。
なにもかもゼロにして自分の感情を取り戻そうとするための破壊行為を続けても一向に先が見えなかったデイヴィスは、カレンと息子クリスとの友情を通して、どこかに忘れてしまった自分自身に目を向けることに気づいていく。
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あまりにも苦労しなさすぎたんじゃないか?
それでいて、数字とにらめっこしてるだけの空虚な毎日を積み重ねてきて、感情をワッと吐き出す感覚が分からなくなってしまったのだ。
そこで妻を亡くすという突然の喪失を心がすぐに受け入れることができなかった。
妻を愛してはいたのだが、愛してなかったのか?という錯覚がデイヴィスを苦しめていく。
これまでの人生をなかったことにしようとするかのように、身の周りの物を片っぱしから分解していってもスカッと解決とはいかない。
だがデイヴィスが出会うカレンとクリスの親子との触れ合いは確かなきっかけとなったのは言うまでもない。
とりわけデイヴィス自身のミニタイプみたいなクリス少年もまた感情を出すのがうまくない。 加えて会話中の「ファック」の使い方も間違いだらけ。
そんな少年とともに破壊行動に励み、遂にはブルドーザーまでネットで買って自宅を解体してしまう。
これまでの夫婦生活をチャラにできるかと言うとそうではなく、そこにはむしろ彼への愛を失わないように心を痛めていた妻の気持ちの証しがあったのだ。

確かに、主人公の心の混乱は特殊すぎて感情移入しづらい。
「こいつ、何やっとんじゃ?」のオンパレードである。
それでも、徐々に心が開けていくさまは実に分かりやすい。
肉体労働、子供との関わり、義親にぶっちゃけられ、人からしこたまボコられるという、今まで縁のなかった色んな意味での"生の実感"がデイヴィスの心を確実に揺さぶっていく。
そして、この長いタイトルの意味が分かる、あるシーンではグッとこずにはいられない。
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