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ショコラ ~君がいて、僕がいる~
2017年02月20日

T0021475p.jpg今の時代、お笑い芸人のサイクルが異常に早いよねえ。
「今年一番のブレイク!」って言われてたと思ったら、次の年にはパッタリと顔を見せなくなり、また別の新たな芸人さんが売れまくっていらっしゃる。

リズムネタか、ワンフレーズギャグでポンと出てくる芸人さんが多いですが、このパターンはもう飽きられたら一発終了です。
「そのギャグ」=「その芸人」というイメージが一度こびりついたら、飽きられるのはギャグだけでなく同時にその芸人さんも飽きられてしまってるんですよね。
こうなると、新しいネタをやってもキツくなってしまいます。
よっぽどフリートークでもイケるってところを見せないと、生き残れません。
大変ですな、お笑い芸人さんも。

それにしても、ブルゾンちえみ、面白いなあ。 来年いるだろうか?


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20世紀初頭のフランスで、白人のフティットと黒人のショコラによる異色の芸人コンビが活躍していました。
もちろん人種差別が激しかった時代でありながら「フティット&ショコラ」は大変人気があったらしいです。
ショコラがボケで、ツッコミがフティットという形のドタバタコントなんだけど、コンビでの活動期間は10年と短く(1895~1905)、フティットはまだしも、黒人のショコラの方はさほど記録が残っておらず、フランス国内でも忘れられた存在になっていました。

この映画は、フランス初の黒人芸人であるショコラことラファエル・パディーヤ(1868?~1917)に光を当て、彼の栄光や知られざる苦悩などを描いた実話です。
ショコラには「最強のふたり」でブレイクして以来ハリウッドでも引っ張りだこのオマール・シー。
フティットにチャップリンの実孫であるジェームス・ティエレが扮しています。
監督は、俳優でもあるロシュディ・ゼム。

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1897年。 この時代のコメディアンの活躍の場は主にサーカス。
ジョルジュ・フティットは、かつては売れっ子だったコメディアンですが、近頃はサッパリ。
ピン芸人である彼のやるような芸はもう古いのか、何をやってもスベリ倒して、もはや過去の人。

仕事がない彼は、サーカス一座のデルヴォー座に売り込みに行くのですが、残念ながら座長のお眼鏡にかなわず。
仕方がないので、ついでに公演でも観て帰ることにしたフティットは、そこでのちのショコラとなる人物と運命的な出会いを果たすのです。

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未開人の様な格好をしてチンパンジーを連れ、客席に向かって「ウォーウォー」と吠えながら子供客たちを威嚇する黒人の男の「見世物」。
その名は『クロンボの王、カナンガ』。
このたくましい黒人の大男にひらめくモノを感じたフティットは、公演を終えた彼に声をかけます。
「新しい演目の相方を探してるんだ。 人を笑わせるのが難しくなったが、おまえとなら・・・。」

カナンガフティットのことを、無茶を言う奇異な人間だと思いつつもお笑いコンビになることを承諾。
デルヴォー座の座長を説き伏せて、出演OKを取り付けたフティット
そしてカナンガは新しい芸名「ショコラ」を名乗ることに。

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「俺たちはコインと同じ、表裏一体。 二人でひとつだ。」

こうして「フティット&ショコラ」が誕生。
サーカスで初のお目見えとなった時、あまりの緊張のためかショコラは一瞬固まってしまうのですが、それを思わずフティットが彼の尻にケリを入れた時、客席から小さな笑いが。
これに手ごたえを感じ取ったフティットは何度もショコラの尻を蹴ってみれば、どんどん笑いも大きくなっていく。
そうか、これがウケるのかと、観客の求める笑いを察したフティットは、オーバーなツッコミとコミカルなリアクションのコントこそ「フティット&ショコラ」の売りとしていくことを決心します。
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ボケのショコラがトンチンカンなことを言ったり、おとぼけをやらかすと、フティットが派手な蹴りや大きなトンカチで叩くなどのツッコミを入れる。
そしてツッコまれた時のショコラのユニークなリアクションで笑いを取るという流れ。
このスタイルが「フティット&ショコラ」の芸として定着しました。
「コント55号」みたいなもんですかね。
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 二人は瞬く間に大人気となり、サーカスは連日満員。
ハナから期待していなかった座長夫婦もビックリ。
「ごほうびにギャラをアップしてあげよう」・・・・とはならず、もともと最低だった待遇は改善されないまま。
今風に言えばボッタクリのプロダクションですな。

そんな時に彼らの芸を見込んだパリの名門「ヌーヴォー・シルク」から引き抜きのオファーが。
ギャラで揉めて、事務所を変わるという芸能界のゴシップは今も昔も洋の東西を問わず。
東京に進出する吉本芸人のごとく、いざパリへとノボッた「フティット&ショコラ」。

舞台はデルヴォー座とは比べ物にならないほどの規模で、お客さんの数も1500人。
彼らの芸はアッという間に観客の心をつかみます。
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一躍大ブレイクを果たし、メディアにも取り上げられて、パリで一番の人気者になった「フティット&ショコラ」。
もちろんフトコロもガッポガッポのウッハウハ。
これで変に勘違いしないで芸の精進に励めばいいのですが、そうはいかないのが人間という生き物の哀しさ。

一旦落ち目になった経験をしていて、芸人という仕事がいかに水モノであるかを知っているフティットは、舞台を下りた途端にサッと笑顔を消してネタ作りに勤しんでいる。
一方のショコラはまるで逆。
稼いだ自分のお金をどう使おうが自由だけれども、着る服も派手になり高級車も転がして、芸人バブルの真っ只中。

客席に美人がいたら芸に集中しないショコラをたしなめるフティット
「努力がファンを呼ぶんだ。」
「ファン? もういるじゃないか。」


この映画はサクセス・ストーリーではなく、自由を求めたひとりの人間の哀しい挫折を描いた悲劇で、後半からは転落する一方のショコラを追い続ける展開となっていきます。
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金を稼げば稼ぐほど、生来の女好きとギャンブル好きが止まらなくなるショコラ
今までが窮屈な人生を送ってきた反動なんでしょうが、お金が人生を狂わせてしまうという、実にステレオタイプな堕落っぷり。
そこに来て、この先の彼が、自身と世間との間にある隔たりを埋める願望を募らせていく事件が起きます。

彼は身分証を持たない不法滞在者でした。
それを知っているデルヴォー座の座長の奥さんが、売れてるショコラを妬んで警察にチクり、彼は逮捕されます。
収監先で待っていたのは警官たちの激しい差別。
ショコラを素っ裸にして、「肌を白くしてやるぜ。」と背中の皮がはがれるまでモップでこすられるのです。
「どうしたって黒んぼは黒んぼのままだ。 身の程を思いしったか。」

政治犯として投獄されていた同房のヴィクトールという男は、有名なショコラのことは知っているのですが、軽蔑半分でショコラに世の中の理不尽さを言い聞かせます。
「毎晩、白人にケツを蹴られる黒んぼの役で金持ちの連中を笑わせてる。 それで満足か、君は? 表向きはみんな自由だの平等だのって言うがバカバカしい。 何が光の都パリだ。」

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キューバで生まれて少年時代を過ごしたショコラには忘れようにも忘れられない思い出があります。
金持ちの白人の家で召使いをしていた父親のことです。
・・・・・その日、父が働いている金持ちの家では来客を招いてテラスで食事が行われていた。
給仕をしている父の仕事ぶりを草陰から少年時代のショコラはそっと見ていたのだ。
会話までは聞こえないが・・・。 父は主人の言いつけに応じて犬の真似をさせられて食べ物を口に放り込まれていた。
金持ちたちは大ウケ、父も愛想笑いをしている。
一瞬、屈辱のあまりに歪んだ表情をした父と目が合った。
・・・・・・あの時の父の気まずそうな、なんとも言えない顔はショコラは一生忘れられない。

そんな苦い記憶がよみがえる中、ヌーヴォー・シルクの座長の尽力で身分証が発行されたショコラはやっと釈放されます。
しかし、パリで開催されていた悪名高い「人間動物園」の一環である「植民地博覧会」で、自分と同じ有色人種が見せ物になっている光景にショックを受け、宣伝のポスターでは自分の顔がほとんどサルの様な顔にデフォルメされていることに、ショコラはハッキリと抵抗します。
「これは何だ? 俺はこんなサルみたいな顔はしていない。 書き直してくれ。」

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傷ついたショコラはますます酒とギャンブルにのめり込み、あげくには悪い薬にまで手を出してしまいます。
借金は膨らむ一方で、取り立て屋の厳しい取り立てに怯える毎日。
もちろん芸にも身が入る訳はなく、遅刻を繰り返したり、フティットに反抗的な態度を取るようになります。
「何のつもりだ? マスター(師匠)を敬え。」
「俺にマスター(主人)はいない。」


見せ物芸人時代からシェイクスピアが恋人だと言うぐらい、本を愛読していたショコラの夢は役者になって「オセロ」の舞台に立つこと。
そのことを座長に訴えても、「白人に蹴られるから君は人気があるんだ。 今、君が役者になっったって世間は受け入れない。」と断言されてしまいます。
しかし余計に頑なになっていくショコラは遂に舞台でやらかしてしまうのです。
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いつもはフティットショコラを蹴ったり叩いたりしますが、いくら芸でもショコラは「白人にケツを蹴られる黒んぼ」はもうウンザリだったのでした。
父は犬の真似をして卑屈な笑いで白人の御機嫌を取っていたが自分は違うのだ。
ここは光の都パリ。 真の芸術とは風穴を開けること。

舞台上で段取りを無視するショコラ
フティットのツッコミも身を交わして避ける。
唖然とするフティットに逆にショコラが平手打ちをくらわすと、何も知らない会場は爆笑。
「ほらな。 これでも客は笑うんだ。 もう終わりだ。」
こうして「フティット&ショコラ」はコンビを解消。

以前に病気の子供を慰問した時、病院で知り合った看護婦のマリーと恋人関係になっているショコラは、彼女の紹介でアントワーヌ劇場の座長と会い、念願の「オセロ」の舞台に立つことが決まります。
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しかしショコラ「今後は本名のラファエル・パディーヤで活動したい。」と希望する。
座長にすれば、“あの有名なショコラ”ですから、看板に名前でも出せば格好の人寄せになるのですが、最初は希望を受け入れたものの、結局は劇場前の看板に「出演:ショコラ」の文字を入れることに。
いや、それよりも・・・
セリフが覚えられん!
マリーにも手伝ってもらって猛練習するが、なかなか・・・。
また、これまで円形の劇場でやってきたクセが抜けず、つい客席に背中を向けてしまって監督からも怒られる。
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それでもなんだんかだで、やっと初舞台を踏む。
手ごたえもバッチリだ!と思ったら大ブーイング。
これは何がいけなかったんでしょうかねえ? 良かったと思うんですが、これは映画を観ててもちょっと分からなかったですね。
ショックのあまり街に飛び出したら、待ちかまえてた借金取りに追いかけられてボコられる。 もう散々なラファエル

思い返せば、あっという間に有名人になって金持ちになっても、黒人は言葉をしゃべるサル程度にしか見てくれない世間の現実にぶち当たり、ギャンブルや酒や女遊びに逃避して、自分の首を絞めていたのだろうか・・・。
二人三脚でやってきた相棒も裏切って、誰も認めてくれるはずのない世界に首を突っ込んだあげくがこのザマなのかとラファエルは絶望の中で悔し涙を流す。

自分の肌の色がみんなと同じだったらこんな目には遭わなかっただろうか。
自分自身がやれるべきことをやった自負はあっても、それでもこんな世界に高望みをした自分が悪かったのか・・・。
あまりに自堕落な自分を責めながらも、結局は黒い肌の者には本当の居場所などない。
あるとすれば、「おまえとは二人でひとつだ。」と言ってくれた彼がそうなのかもしれない。
君がいて、僕がいる・・・・
今、気がついても、もう遅いのだろう・・・・・
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時は過ぎて1917年。
小さなサーカスの裏方として働く年老いたラファエルは結核を患い、体を動かすのもやっとの状態。
遂に倒れて病床に伏せっているラファエルの元をフティットが訪ねてきます。

部屋の壁一面に飾られた「フティット&ショコラ」の写真やイラストの数々・・・ 良かったよなあ、あの頃は・・・。
「肌の色を変えたいと思ってた。 俺はバカな黒んぼだ。」
「俺たち二人は王様だった。 二人なら無敵だった。 そうだろ?」

1917年11月4日。 "ショコラ"ことラファエル・パディーヤ、ボルドーにて死去。

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一人の芸人の、目も当てられない転落人生の悲劇であって、そこまでの話に過ぎないと言ってしまえばそれまでなんですが、史実とフィクションの境目が曖昧ながら、ここで注視すべきは 「人を笑わせてるのか、人に笑われてるのか」という、今でも語られる芸人としてのスタンスの在り方と、「人として見られてるのか、見られていないのか」という人種差別の要素を重ねて語られてるところ。

子供の頃に見てしまったお父さんの惨めな姿というトラウマも甦って、「笑わせてる芸人」ではなく、「笑われてるサルみたいな黒んぼ」だと気づいても尚、自分は人を楽しませることができるのだという才能を信じて儚い夢を見ていたショコラのあがきザマが哀しいですね。

本作の表現でいえば、この当時のフランスでは、人種差別物の映画でよく見られるような、個人から個人に対する露骨な差別が見受けられません。
表面上かもしれませんが、警察官などの一部を除けばむしろ「肌の色など気にしないよ」みたいなフレンドリーな感じを受けます。
この時代はとうにほとんどの国で奴隷制度が終わってますが、それでも「植民地博覧会」や、サルに似せたショコラのイラストなど潜在的な黒人に対する排他意識が見えており、それらをショコラが見て感じながら、白人に迎合しないで「笑わせる芸人」として認められるために葛藤する姿が憐憫の情を呼び起こします。

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これは史実なのかどうかはハッキリしませんが、ジョルジュ・フティットがゲイであることが示唆されています。
カーテン一枚隔てた部屋でショコラがマリーとイチャイチャしている声を聞きながら悶々としている表情や、ゲイバーの様な所で飲み、爪に残っているかすれたマニキュアをゴシゴシ落とすシーンからでも明白なのですが、マイノリティの孤独に苛まれていることからも、反抗するショコラに秘められた苦しみにも一定の理解は少なからず持っています。
セリフにも出てきますが、彼はショコラを愛していましたし、かといって「白人に蹴られる黒人」だから笑われる芸であるという現実は否定できず、一体何がショコラにとって最善なのか掴めないまま、袂を分かったことが最後まで心残りだったでしょう。

ジョルジュ・フティットラファエルが亡くなった4年後の1921年に57歳で死去しています。


劇中で、映画を発明した「映画の父」リュミエール兄弟(ブリュノ・ポダリデス&ドゥニ・ポダリデス兄弟)が、芸をする「フティット&ショコラ」をシネマトグラフで撮影するシーンがあります。
「あ~ダメダメ! 枠からハミ出てるぅ!」
この実際の映像がエンドロールの前に流れます。 これはちょっと感動モノですね。
カメラは固定されていて動かせないんでしょう。 後半、本当に勢い余って二人とも枠外に飛び出てしまう所がおかしいですね。



「賢人のお言葉」
 
「芸というものは虚と実と皮膜の間にあるものなり。 虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間にこそ慰みがあるものなり。」
 近松門左衛門
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