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沈黙 - サイレンス -
2017年02月04日

T0013786p.jpgマーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を映画化するという話は、随分前から言ってた記憶がある。
すっかり忘れてたけど、そう言えば製作会社から訴えられてたね。
スコセッシがそのうち作ると言いながら、他の作品ばっかり作ってるもんだから、「おまえ、ええかげんにせえよ」と、イタリア人のプロデューサーが鬼ギレしたらしい。
丸く収まったのだろうか。 まあ、収まったからこうして本作は完成して日の目を見ているのだけれども。


企画が持ち上がってから完成まで実に28年の歳月を要した、スコセッシ一世一代の意欲作。
江戸時代初期。キリシタン弾圧真っ只中の長崎を訪れたポルトガル人の若き宣教師が、信徒たちと共に迫害されながら、自らの信仰心に向きあい、人の弱さや本当に大切なものを見出していく物語。

なんだか高尚な宗教映画のようで肌に合わなさそうだなあと思うなかれ。
意外に敷居は低いのである。
ただ、この映画を観てどう感じるかは人によりけり。
特に無宗教の人の方が向いている映画かもしれない。(日本人の7割は無宗教だけどね)
だもんで、けっこう文章はふざけてますのであしからず。(いつもふざけてるけどね)

無題
時は1640年前後。
日本では島原の乱が収束した頃で、徳川将軍でいうと3代目家光の時代。
 
イエズス会の若きポルトガル人司祭の二人。 セバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ(アダム・ドライバー)。
高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラ教父(リーアム・ニーソン)のお弟子さんである。
日本で布教中の師匠を尊敬してやまない、このお二人さんにある日、寝耳に熱湯のようなニュースが飛び込んでくるのだ。

その日、ローマではロドリゴガルペの二人がイエズス会司祭、ヴァリニャーノ神父(キアラン・ハインズ)に呼び出されていた。
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「話はほかでもないんだけどね。」
「ほかでもなければ帰りますけど。」
「帰るんじゃねえよアホ。 今から大事な話があんの。」
「なんでしょうかね。」
「おまえらの師匠のフェレイラが棄教したぞ。」
「キキョウ? ああ、田舎に帰ったんですか。 そりゃ初耳。」
「その帰郷じゃねえわ! 棄教って言ってんの。 フェレイラがキリスト教の信仰を放棄したんだとよ。」
「な~んだ、帰郷じゃなくて棄教か。 ハイハイ。わかりました。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。   えーっ!?」
「おせえよ!  全然おせえわ!」
「嘘でしょ? うちの師匠に限って。 そんなバカなことをするはずがないよ。」
「いやホントらしいぞ。 日本に行って、なんかよっぽど嫌なことがあったらしいけど。」
「とても信じられない。 このままじゃ、うちの師匠は裏切り者扱いになってしまう。 神父、僕らを日本に行かせてください、お願いします。」
「行くな行くな。 あんな奴はほっとけ。」
「そこをなんとか。 お土産のカステラを一杯買ってきてあげますから。」
「よし行け。 今すぐ行け。」
「そうこなくっちゃ。」

というわけで、ロドリゴガルペの二人は日本の長崎へと向かうのである。
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「M-1に出て優勝目指したろうやないけー。」 ちがう。  フェレイラ師匠の棄教の真実をこの目で確かめるのだ。
見つけ出して棄教が本当だったら、「これはどういうこっちゃねん。」と問い詰めて、師匠といえどもガツンとシメなければならない。

といっても日本は鎖国状態。 トランプ大統領イケイケ状態のアメリカのごとく入国は至難の業。
とにかく手引きしてくれる日本人が必要だ。
まずはマカオを経由。 そこで現地人から紹介されたのがキチジロー(窪塚洋介)という、ボロ雑巾みたいな貧弱な男。
棄教することを「転ぶ」というのだが、このキチジローもすでに転んでいる。
「日本に帰りたいよ~」とヒーヒー泣いている。
よちよち。 一緒に帰ろうね~。 案内よろしくね~。

そうして、長崎のトモギ村に入った司祭たち。
そこで、弾圧から逃れてひっそりと暮らしている隠れキリシタンの村人たちに歓迎される。
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トモギ村のイチゾウ(笈田ヨシ)とモキチ(塚本晋也)がオモテナシ。

「なんもありませんが、ゆっくりしていってくだせえ。」
「温泉ある?」
「あいにく温泉はございやせんが。」
「じゃあシャワーだけでも。」
「シャワーもございやせん。」
「料理は何? カニ? それともフグ?」
「メザシの干物なら。」
「本当になんにもねえな。」
「申し訳ございやせん。」
「温泉と言えば若おかみ。 若おかみはいないの?」
「いたら、こっちが会いたいですな。」
「なんだよ、しけてやがんな。 それでも温泉旅館かよ。」
「うちはただの民家ですが。」
「つまんねえなあ。 じゃあ長崎の夜景でも観に行くか。」
「お侍さんに見つかったら大ごとですので、あまり出歩かない方が・・・。」
「じゃあ、どうしろってんだよ。」
「クソして寝ろ。」

師匠のフェレイラに何があったのか、それが知りたくて東洋の異国の地にやってきたロドリゴガルペ
何があったのかは嫌でも知ることになる。
キリシタンたちに対する幕府の容赦ない弾圧、弾圧、弾圧、弾圧・・・・・・・・
神が与えたにしてはあまりにむごい試練は、救いを信じるロドリゴの心に大きな波紋を投げかけるのだ。


後日、トモギ村にキリシタンを取り締まる幕府の者たちがやってくる。
悪い子はいねえか~ キリシタンはいねえか~
そして学校の歴史の授業でも習った、おなじみの「踏み絵」。 ふみえ・・・、そう言えば細川ふみえは今頃どうしているのだろうか? いや、それどころではない。
キリストの銅版画を足で踏む「踏み絵」を強要される村人たち。
イチゾウ、モキチ、キチジローともう一人の村人の4人が選ばれた。
ロドリゴガルペは身をひそめながら見守る。
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村人たちはロドリゴから「踏んでいい」と進言されていたので恐るおそる踏むのだが、幕府のオッサンも食えないヤツで、それだけで終わらせはしないのである。
今度は木製の十字架の飾りを持ってきて、「これにツバを吐いてみろ。 さあ、どうした、吐け!吐くのじゃ!」
イチゾウ、モキチ、もう一人の村人もギブアップ。
しかし、キチジローだけは盛大にツバを吐いて放免。 もともとはすでに転んでるから遠慮なし。
キチジローはそのまま姿をくらます。

こうしてツバを吐けなかった3人は処刑されることになる。
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入り江の岩場での磔。 これはまたエグいことをする。
「水磔(すいたく)」と言う処刑だそうである。
満潮になっても完全に水没する所まではいかないが、よせる荒波に叩きつけられるように何度も何度も呑み込まれることで、ジワジワと衰弱死するのだ。
モキチは死ぬまで4日を要した。

この映画には凄惨な拷問や処刑のシーンが多々出てくる。
冒頭では、縛ったキリシタンの体に源泉の熱湯をかけるという、リアクション芸人も飛んで逃げる拷問や、生きたまま火をつけられたり、簀巻きにされて船から海に落とされたりなど、無情のシーンのオンパレード。
「キル・ビル」を思い起こすような斬首のシーンもある。

極めつけは「穴吊り」という歴史的にも有名な拷問。
逆さに吊るして、糞尿のたまった穴に首の部分だけすっぽりと収めて放置するという。
頭に血が上ってすぐに死なないように、耳の後ろに穴を開けて血が少しづつ流れる血抜きの状態にしておくのがミソ。
これで何人もの宣教師が転んだらしくて、かなり効果的かつ残酷な拷問だったようだ。

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とにかくも、モキチたちの壮絶な殉教を目の当たりにし、ここに留まっていたら危ないということでロドリゴガルペは二手に分かれてトモギ村から逃亡する。
ロドリゴが一人で五島列島を歩きながらフラフラになってる所へキチジローが現れて彼を救うのだが・・・・

まもなくしてロドリゴは侍たちに捕らえられる。
キチジローがチクったのだ。
銀300枚と引き換えに。 ゲスか、おまえは。
引っ張っていかれるロドリゴに泣いてわびるキチジロー
この男、転んだとはいえ、信仰の心は捨てていない。 それでも生き延びたいので現実な選択をするのだ。

  
ここからロドリゴの信仰が試される。 物語の最大の綱領である。
ロドリゴをなんとしてでも転ばせたい幕府の大目付、井上筑後守(イッセー尾形)と、信仰を貫き通そうと真っ向からディスカッションするロドリゴの、双方の価値観、スタンス、流儀が火花を散らしてせめぎ合う。
ロドリゴ井上の舌戦は映画の見どころの一つ。

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イノウエサマと呼ばれる、好々爺然とした井上筑後守
この長崎でキリシタン弾圧政策のバックにいる実力者。
イッセー尾形が、印象に残り過ぎるほどの超怪演。

ロドリゴに対して「いずれ、おまえは転ぶ。」と常に余裕しゃくしゃく。
「仏とは人が到達するものだ。 ブッダが人だとかは関係ない。」
「おまえの栄光の代償は彼ら信徒たちの苦しみだ。」
「おまえたちの宗教など、この国では根づかぬ。 種をまいても枯れるだけじゃ。」

とある大名が、互いにいがみ合う4人の側室を、藩に悪影響を残さぬように全員城から追い出したという話をたとえに、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスからやってくるキリスト教からこの国を守らねばならないのだと説く。
「ひとつに絞ればいかがですか。 大事なのは愛と貞節でしょう。」
「おまえは日本という国を知らない。」
「あなたがたはキリスト教を知らない。」
「キリスト教は子供を産めぬ石女(うまずめ)だ。 妻になる資格はない。」

どっちもっどっちじゃのぉ。 "たかが"宗教ぐらいで。
ホント。 "たかが"なことだよ。

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イノウエサマのやることは、さらにタチが悪い。
どこぞの海岸に連れてこられたロドリゴ。 何の余興が始まるのかと思えば、役人に連れられて現れたのは数人の信徒。
その中には別行動を取っていたはずのガルペもいた。。
彼もすでに捕らえられていたのだ。

信徒たちが簀巻きにされて船に乗せられる。
沖に出た所で、海へと放りこまれた末に棒で押さえつけられて沈められる。
海岸でそれを見せられていたガルペは、必死で船のいる所まで泳いで信徒たちを救おうとするのだが彼もまた無残に命を落とすことになる。

あまりにむごい光景にロドリゴは打ちひしがれ、神に問いかけずにはいられない。
「主よ、あなたはなぜ黙ったままなのですか? あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であるならば、今こそ何かを言うべきではないのですか?」
ロドリゴ君、それは無茶と言うものだ。
「私は"無"に祈っているのだろうか・・・?」 その通りだ、ロドリゴ君

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連れてこられた寺で、ようやく師匠のフェレイラと再会するロドリゴ
しかし、棄教していたのは本当のことで、彼は沢野忠庵という名前を名乗り、日本人の妻をめとって、すっかりジャパニーズとして暮らしていた。
そればかりかキリシタンたちに棄教するよう説得して回っているという。

アイデンティティさえも捨てて、お上の飼い犬に成り下がった師匠をロドリゴは激しくなじる。
信徒たちが信仰のためにむごたらしい弾圧を受けては命を落としていく地獄に耐えきれなかったフェレイラは苦しい胸の内を明かす。
「この国は沼なのだ。 苗を植えても育たない。 腐るだけだ。」


奉行所に戻されたその日の晩。 ロドリゴに運命の時が訪れる。
奉行所の庭には数人の信徒たちが穴吊りにされて苦しんでいた。
彼らはすでに棄教を誓っているというのに、ロドリゴが棄教しない限りあのままなのだという。
信仰を貫くか、棄教を犠牲にして、イエスの教えの通りに人を救うのか。
フェレイラも同じジレンマの中で棄教したと知ったロドリゴは踏み絵を踏む決心をする。

銅版画のキリストはロドリゴに語りかける。
「踏むがよい。 おまえの足の痛さを私が一番よく知っている。 私はおまえたちに踏まれるためにこの世に生まれ、おまえたちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」
ありがたいお言葉ですのぉ。 もう少し噛み砕けばこうだったのではないか。
silence-movie-image-andrew-garfield-martin-scorsese.jpg 
お店の女王様だったら、喜んで「踏んで下さい!」って、俺も言うけどなあ。
別にそんな趣味ないけどさぁ。 ヤローのきったない足の裏で踏まれるよりかはマシじゃないかね。
いや、いいんだよロドリゴ君。 踏んでくれたまえよ、遠慮なく。
むしろ、俺の方から頼むわ。 踏め、ロドリゴ。
そうしなきゃ、信徒が死ぬぞ。
それはな、俺を信じたせいじゃない。 おまえのせいで死ぬんだ。
ハッキリ言っとくぞ。 おまえが絵を踏まなかったせいで人が死ぬ。 状況はシンプルだ。
だったら、やるべきことは分かるよな。

第一な、俺もしんどい。 俺の教えを守ろうとすればするほど君らが苦しんでる。
この国ではダメだって決まってるものを、こそこそ隠れてやってもいいことなんかこれっぽっちもない。 見つかったら地獄だしな。
本来、信ずる者に救いをもたらさねばならない信仰が、こんな悲劇ばっかり積み重ねるようだったら、それこそ棄教した方が人はよっぽど救われるんじゃないか?
拷問も神が与えてくださった試練だと言って、自分から進んで痛い目に遭うアホがいるが、俺がそんなことをしろって教えたか?
そういうの、一番気分が悪いのは俺だぞ。 殉教なんて誰も特はせん。
やせがまんなんぞ、みっともないだけだ。

・・・・ロドリゴ君。 けっこう時間が経ったぞ。 早く踏めよ。 泣くなよ、大の大人が。 めんどくせえなあ。
俺が「せーのーで」って言ってやるから踏めよ。 いいな?
せーのーでっ! ・・・・・踏めよ! 踏めっつってんだろが!
君のそういうとこだぞ。 そんな意固地なとこがいかん。 もう、ただただキショい。
ただの絵だろ? そこんとこ割り切れよ。
チャッチャとすりゃあ・・・アッ!踏みやがった。 早っ! 踏ん切りついたら早っ!
いや、踏めとは言ったんだから、まあいいけど。
いいのいいの。俺はな~んも気にしてませんよ。
これでメデタシメデタシだ。

えっ?さっきまで沈黙してたのに、よく喋るだと?
では教えてやろう。
これはな、君の心の声だ。
君が本当ははこうしたい、こういう選択をしたいという君の願望の表れだ。
変なクスリに手を出してなければ、今君の耳に届いている声は、何を隠そう、君自身の叫びなのだよ。

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原作が長崎教区で発売禁止になったほどであるし、もちろんこの映画はキリスト教徒を同情とヒロイズムで囲ったプロパガンダではない。
棄教した者や、踏み絵を踏んだり、拷問に屈した者たちを、カトリック教会が言うように裏切り者だとか、安易な道に逃げた意思の弱い人間だと一概に断じるなと、この物語は訴える。
耐えた者も耐えきれなかった者も、みな同じように苦しんだのだ。
棄教した人々はどれほど辛かっただろうか。
救いをもたらさねばならぬ信仰のあり方という本質に踏み込みながら、いかなる形でも「心」が重要であることを説いている。
神は沈黙するものなり。 さすれば口先だけの信心よりも、黙して秘めた敬神こそが信仰の求める所。
人に押しつけず、また自身を飾って自らを追いこんではならないのだ。

窪塚洋介演じるキチジローという男が、人間の弱さを象徴した人物として出てくる。
踏み絵はちゅうちょなく踏むし、十字架にもペッとツバを吐き、銀300枚でロドリゴを売る。
そのたびに許しを請い、信仰を心から捨て去ろうとはしない。
「こんな世の中、弱い者の居場所はどこにあるんだ。」と嘆き、弾圧下の時代に生まれてなかったら自分は立派なキリシタンになれたのだと胸の内を絞り出す。
なんであろうと、心のままにこの世を生き抜いて、内と外から信仰と人間の繋がりを見つめている存在となっているキチジローの姿こそが人間の普遍性を示している。

358205_010.jpg 
浅野忠信が演じた「通辞」という役名の男も面白い。
元はキリシタンであったが家族を奪われるなどして棄教したという過去を持っている。
ロドリゴ井上筑後守の間のワンクッションのようなポジションであるが、時にやんわりと懐に入ってくれば、また一転してクールにロドリゴの心を否定する面も持っている。

今まで何人もの信徒を転ばせ、同じような光景を何度も見てきた男は、さてこの男はどこまでの覚悟があるのかと量っている。
「おまえらがこの国に身勝手な夢を押しつけるためにまた血が流れよるわい。」とズバッと断じれば、一方ではどことなく、今一度かつて自分が信じたものが間違いでなかったことをこの男が証明してくれるのではという希望を託していそうな所も垣間見えるのだ。
「形だけでよいのだ。 転ぶと言え。 あとは良きにせよ。」

イッセー尾形も凄かったが、この浅野忠信も異様な迫力があった。

358205_002.jpg
それでも素直な感想としては、宗教というのはまことに怖ろしいとあらためて感じたこと。
無宗教であるから、特に信仰がもたらす偏執的で硬直した思考はただただ異常にしか映らない。

小学校の時に歴史の授業で初めて知った「踏み絵」にしたって、子供心に「嘘でも踏めばええやないか」と思ったのはアッシだけではなかろう。
単なる絵に足を乗せることがポーズだけでもできない、その頑ななところ。
拷問でどんなに苦しい目に遭わされようが、死ぬか、あるいは死ぬ寸前まで行かなければ「信仰」という囚われた考えから脱け出せない怖さは数多にある「宗教悪」と普通に並べられるのだ。

たとえ絵でも主の顔を踏まない。 いやいやいや。 踏んだらええやん。 銅版画やん。 イエスの顔に直でいってる訳とちゃうし。
なんだろうと自分の信じてるものや拠り所にしてるものは絶対的な存在だとする、その頑なな行動と同じものはいつの時代にも溢れてる。

コーランを揶揄したら「死刑じゃ!」という人らもいるし、「地下鉄にサリンまいてきなさい」と言われたら、「これはいいことなんだ」と信じてやった人らもいる。
事故や病気で病院に担ぎ込まれた子供の輸血を拒否して死なせる親もいる。
踏み絵も拒む宗教はそれと同じ。

弾圧した方とされた方のどっちが先かは微妙だけど、信仰の頑なな意思が異様にテンパってる者は、そりゃあの時代の政治家にしたら恐怖だったろうなと思う。
こんな宗教認めたら、そのうち妙な団結心起こしてヤバいことしそうだという危機感がけっこう高まってたんだろうね。


日本人は心が強いのだ。 それは胸を張って言える。
欧米人みたいにカウンセリングが一般的なほど心がナヨくはない。
日本は無宗教が多いのはそのためだし、キリスト教信者が1%というのも当然なのだ。
日本人は自分自身を信じれる民族なのよ。
みんなが「自分教」の信者。 それが我が大和民族。


「賢人のお言葉」
 
「信仰を有する者は、殉教者たるのみならず、道化となる覚悟がなければならない。」
 ギルバート・ケイス・チェスタートン
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