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この世界の片隅に
2016年12月15日

T0020182p.jpgこうの史代原作の漫画を読んだのはかれこれ3年前。
何かの雑誌で紹介されていた記事をたまたま読んで興味を持ち、本屋へ行きましたが都合3軒ハシゴすることに。

こんなに売れてる漫画だとは予想だにしませんでした。

紀伊国屋もブックファーストも品切れで、最後のジュンク堂でようやく「上・中・下」版ではない「前・後編」の2巻バージョンの方をゲット。 さすがジュンク堂。

太平洋戦争さなかの広島を舞台に、呉の地に嫁いだ一人の女性がささやかな日常を綴りながら、戦争に向き合って自分の居場所を見つめていく物語です。
その時代の人々の生活や風土などがディテール豊かに描かれており、欄外に走り書きされた「豆知識」のような補足情報も大いにためになりますね。

モノのない時代でいかにして工夫を加えて生活を凌いでいたか。 また、過酷な状況下で人々がどのように戦争を捉えて、何をあきらめ、何に希望を持っていたかも描かれています。
重い題材ながらも、ところどころにユーモアも散りばめられ、ホームドラマの体を成した語り口が温かいのです。

戦後から70年が経ち、日本人が心に刻むべき記憶をリアルに語れる世代はどんどん減っていく。
そんな意味でもこの漫画の存在は大きいと思います。
戦争の時代のことは「どうせ昔のこと」とか「自分に関係のない過去」ではありません。
我々は日本人です。 日本人であるからこそ、そのアイデンティティのために知っておく絶対無二の歴史なのです。
漫画だからこそ世代の壁を取り払えて、伝えるべきことがより伝わるでしょうし、過ちを積み重ねて築かれていく国や人ひとりの歴史の悲哀を見届けることで、この世界で生きていることの喜びを受け取れるのではないでしょうか。

この大傑作の漫画は以前に北川景子主演でTVドラマ化されましたが、遂に待望のアニメ映画化。
劇場は大盛況でこのほど鑑賞してきましたが、想像以上に素晴しい出来。 腰が抜けるぐらいの感動作です。
今回はこの映画の紹介ですが、個人的にはまずは原作を読んでいただきたいなと切に思います。


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北條すず(旧姓 浦野)
広島県江波出身。 実家は海苔業。
幼い頃から絵を描くのが好き。
10歳の頃、草津の祖母の家で座敷わらしに遭遇した経験あり。

昭和19年。 18歳のすずに突然舞い込んだ縁談。
周囲に流されるままに祝言を上げたすずは呉の北條家に嫁いで行きます。

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毎年すずに着物を仕立ててくれるお祖母ちゃんは嫁ぐ孫に言う。
「結婚式を挙げた晩に婿さんが『傘を一本持ってきたか』と聞くと、『はい、新(にい)なのを一本持ってきました』って言うんやで。」
「ほいで向こうが『さしてもええかいの』と言うたら『どうぞ』って言うんや、ええか。」
「なんで?」 「なんでもじゃ。」
おそらくは初夜のルーティーンのようなことなのでしょうか。
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北條周作は、海軍軍法会議録事(書記官)を勤める北條家の長男。
寡黙な男ですが、慣れない土地で生活を始めるすずを気遣う優しい男です。

実はすずが9歳の頃に中島本町の得意先へのお使いに行った際に、周作と出会っているのです。
ももひきの裾に書いてあった「浦野すず」という名前を覚えていた周作は、すずを探していたのでした。

祝言を上げたその夜に、例の「傘は持ってきたか」の問答になるのですが、「ちょいと貸してくれ。 おお、これはええ傘や。」と軒先に吊るしてある干し柿を傘の柄で引っかけて取るのに周作が使っただけでした。
まあ、それでも初夜ですから。 その後は・・・・

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北條家の御主人と奥さん。 周作の両親であり、すずの義父母。
円太郎さんは海軍の工廠の技師。
マジメですが、のんびりした人で、夜勤明けの寝不足とはいえ、空襲中に「伏せろ!」と言ったまま地べたで熟睡してしまうという大ボケをかまします。

妻のサンさんは足が悪く、一人で歩くのがままなりませんが、おっとりした性格ですずを優しくフォローしてくれます。
「みんなが笑うて暮らせりゃええのにねえ。」というセリフがジーンときますねえ。

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周作の姉、黒村径子
夫に先立たれ、娘の晴美を連れて北條家に出戻り。
息子もいるのですが、跡取りを欲しい婚家に残していかざるを得なかったことを口惜しんでいます。
さばさばした性格ながら、すずには少々当たりがきつい人なのですが、決して悪い人というわけではないのです。

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径子の娘、晴美。 5歳。
大人しい性格ですが、北條家にやってきて、すぐにすずと仲良くなります。
呉の港にやってくる軍艦を見るのが大好き。
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「あれは利根よ。重巡洋艦じゃね。 ほいでこっちは日向よ。航空戦艦じゃ。後ろに砲塔がないじゃろ。 あの、こっちにくるコマいのは内火艇。」
「すっごいわー!よう知っとるね。 ほいじゃ、うちもお礼に。 晴美さん、大きな雲じゃろ。 カナトコ雲いうてね。・・・もうすぐ大雨になりますぅ!」
ドッザアー!!

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すずの小学校時代の同級生、水原哲
海軍兵学校へ帰る途中だった兄が船の転覆事故で亡くなっており、海を見るのが嫌いだったですが、すずの描いた“うさぎが跳ねるような白い波がたつ海”の絵に心を癒されます。
海軍に入隊し、巡洋艦「青葉」の乗組員になり、入湯上陸で北條家のすずを訪ねてきます。
すずのことが心配だった彼は、このまますずと一緒に・・・という気持ちを秘めているのですが・・・・。

お互いに微妙な気持ちを残しているのですが、最後の別れになるかもしれない一夜のシーンは印象深いシーンの一つです。
「すずが普通で安心した。 すずがここで家を守るんも、わしが青葉で国を守るんも、同じだけ当たり前の営みじゃ。 そう思うてずうっとこの世界で普通で、まともで居ってくれ。」
その“普通”が覆される日がくるのですが・・・。

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闇市まで砂糖を買いに行って迷子になったすずに、道を教えてくれた遊女の白木リン
「この世界に居場所はそうそう無うなりゃせんよ。」
原作では周作との関係も含めて、もっと出番があるのですが、映画ではごっそりと端折ってましたね。
重要とまではいかなくとも、ストーリー上まったくの不要でもないこのキャラクターを省いたことの是非はなんとも言えませんね。

そうなんですよ・・・。
映画も素晴しいんですが、原作は多くのエピソードの中にも、さらに膨大な情報が凝縮されていて、その中身の濃さはやはり時間の限られる映画の不利を痛感します。
それでも、限りなくバランス良く原作を活かしてあると思いますし、129分という時間(もうあと30分長くても良かったかも)に収めた構成はさすがプロフェッショナルです。

いろんなエピソードがありました。
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◆南北朝時代の武将、楠木正成が好んで食べたという「楠公飯(なんこうめし)」。
少量の米が増えるという節約料理だそうですが、どうやらクソまずいらしい。
「国策飯」とも言われたこの料理は当時もあまり流行らなかったようです。
正成公ほどの豪傑でなければ食べれません。

すずが軍艦を写生してたら憲兵に間諜と勘ぐられて家族もろとも大目玉をくらうのですが、憲兵が帰った後にみんなが大爆笑。
「憲兵さんに申し訳なくて笑うに笑えんし」・・・・ドヒャヒャヒャー!!  
(みんなが笑うて暮らせりゃええのにねえ。) ホントですねえ。

◆アリの行列を辿ると砂糖つぼに!慌ててアリ対策を講じるも砂糖つぼが水がめの中に水没。
貴重な砂糖がパーになって、仕方なく闇市へ。
相場の何十倍という値段に面食らうすず
「今に砂糖が150円くらいになって、キャラメルなんかが100円でも買えんくなって、靴下だって三足買うたら千円にもなる時代が来やせんかね。 そんとな国で生きていけるんかね・・・。」 今、まさにそうなんですよ、すずさん

すずの兄・要一が戦死し、戻ってきた遺骨があまりに軽く(遺骨全部は戦場から持って帰れない)、箱の中には石ころのような小さな塊がひとつだけ。
家族みんなで「なんじゃこれ?」みたいなリアクションになり、母は「要一がそうそう死ぬもんかね」と言う。

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◆戦火がいよいよ激しさを増し、昭和20年3月には呉にも初の空襲が。
5月には呉市広町の海軍施設が攻撃を受け、広工廠が壊滅。 義父・円太郎さんの行方が分からなくなるが後に海軍病院に入院していたことが判明。
周作が法務一等兵曹になり、軍事教練のために3ヶ月間家を離れることに。
「なんか急に家が広うなった気がするねえ。」


そして6月。 この物語の転換点が訪れます。
海軍病院へ円太郎の見舞いに行ったすず晴美はその帰りに空襲に遭い、よその家の防空壕に入れさせてもらいます。
空襲が止み、壕から外に出たすず晴美は手をつなぎながら歩いていました。
道の右手、半壊したある家の前に来た時、庭先に爆弾がそのままの形でささっているのをすずは見つけます。
これは不発弾ではなく、投下される250キロ爆弾の中には、30分から数時間後に爆発するよう時限信管を仕込まれた時限爆弾もあるのです。
晴美の位置は、すずの右手を握って家側の方にいたのでした。
すずが気づいた時には手遅れでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・
晴美ちゃん、わずか6歳の生涯。
すずは命を取り留めましたが右手を失いました。
「あんたがついておりながら・・・、この人殺し、晴美を返して!」
動転して泣き叫びながら罵倒する径子「ごめんなさい、晴美さん。ごめんなさい、おねえさん。」と床の中ですずも泣きむせぶ。
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たくさんの絵を描いてきた右手。
台所で包丁を握った右手。
裁縫の針でもんぺを縫った右手。
周作と幾度も触れ合った右手。
晴美ちゃんが最後に握っていた右手。
ちぎれて消えた右手よりも、その先に確かにあったはずのかけがえのない記憶。
その手が握っていた人生の営みと多くの絆が全て幻だったかのように霞んでいく。

晴美の死を境に、物語は少しづつ重みを増し、元より広島から嫁いできて以来、自分の居場所を探し求めていたすずの心が大きく揺らぎます。
空襲はさらに激しくなる。
すずの唯一の居場所であり、愛する周作と暮らすこの北條の家を自分が守り切らねばならない想いが絶望と不屈の間を行き来する。

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7月のある日、庭に一羽のサギ(チョウサギという種類)が降り立ったかと思うと、すぐに飛び立ちます。
思わずそのサギの後を追うすず
サギは、水原のことを思い出さずにはいられない象徴。
12月に北條家に水原がやってきた時、彼が艦の甲板から見上げた空を飛んでいくサギの落とした羽をすずにプレゼントしています。
「そっちじゃ! そっちへずうっと逃げ! 山を越えたら広島じゃ!」

水原の生死は原作でも抽象的な表現になっていてなんとも言えないのですが、どこかで生きてると信じたいですがね。

「広島へ逃げえ」とサギを見送りながら、すずも呉から広島へ帰ろうかと心が揺れていた矢先に、義姉の径子から「すずさんがイヤんならん限り、すずさんの居場所はここじゃ。」という言葉をかけられる。
自分で選んだ道だからこそ、そこに居場所は必ずあるということでしょう。


8月。 広島市に原子爆弾が落ちる。
ユーカリの木に爆風で飛んできた障子の枠がぶら下がっていた。
「あんたも広島から来たんかね。」
相変わらず爆撃機が空を横切り、空襲警報が再びウーウー鳴っている。
「ああ、うるさいねえ。 そんとな暴力に屈するもんかね。」

8月15日正午。玉音放送。
「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ・・・」
近所の人と揃って5人で居間に正座してラジオに耳を傾けていたすず
放送が終わって他の4人は、やれやれという感じで解散するのですが、すずは納得できませんでした。
「何で?」
「そんなん覚悟の上じゃないんかね? 最後のひとりになるまで戦うんじゃなかったんかね?」
「いまここへまだ5人も居るのに! まだ左手と両足も残っとるのに!」
「うちはこんなん納得できん!!!」
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「ああ・・・ 暴力で従えとったいう事か。 じゃけえ暴力に屈するいう事かね。 それがこの国の正体かね。 うちも知らんまま死にたかったなあ・・・・・」

みんなが当たり前だと信じていたこの世界。
誰かが兵隊に志願するのも、遠い所で死んで軽い石ころになって帰ってくるのも、米や砂糖が手に入らないのも、工夫しながら家事をやりくりするのも、空襲やピカドンでたくさんの人が死んで家もなくなるのも、自分の右手と一緒に晴美の命が砕け散ったことも・・・・
すべてこの国の正義のもとに意味があるはずだった。
失うものが多くて辛くても、それを受け入れながら、この国のために身を削る暮らしこそが自分やみんなの、この世界の居場所だったはずなのだ。

戦況が悪くて、とても勝てそうにないのであきらめますって?
国民が辛そうだから、もう終わりにしますって?
ラジオから聞こえてくる“人間の声”は、人々が覚悟していた当たり前をいとも軽くふいにする。
総玉砕の覚悟など、この御国にはハナからなかったなんて、死んでいった人になんて言えばいい。
つまらんケンカの手先となり、本来あったはずの「本当の当たり前」さえ知らずに、生活も命も犠牲にした人々の人生は何だったのだろうか。

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戦争が終わり、傷だらけの街や人々を見ながら、すずが徐々に生活を取り戻し、自分の居場所を見出していきます。
「生きとろうが、死んどろうが、もう会えん人が居って、ものがあって、うちしか持っとらん、それの記憶がある。 うちはその記憶の器としてこの世界にあり続けるしかないんですよね。」

生き残ったこと、生かされたことの意味はそこにある。
水原と最後に会った晩に彼は「わしが死んでも一緒くたに英雄にして拝まんでくれ。 笑うてわしを思い出してくれ。 それが出来んようなら忘れてくれ。」
忘れはしない。 記憶がある限り、あなたはこの世界にいる。 あなたを覚えている私がこの世界にいる。

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すず周作と結婚してまだ半年ぐらいの時、周作と出会えたことは、今覚めてしまったら面白くない夢のようだと言うすずに、周作は、「過ぎたことも選ばんかった道も、覚めた夢と変わりゃせんな。」と言った上で・・・
「すずさん、あんたを選んだんは、わしに取って多分、最良の選択じゃ。」
ずっと見ていたい夢を共有し合うすず周作

さまさまなエピソードで、時にすずをおもんばかり、励まし、叱咤してきた周作の優しさが全編で小憎らしいほどに場を持っていきます。
そしてクライマックス。 すず周作が幼い頃に初めて出会った広島の川にかかる橋の上・・・。
「この街もわしらも、もうあの頃には戻らん。 変わり続けていくじゃろう。」
「わしはすずさんは、いつでもすぐにわかる。 ここへホクロがあるけえ、すぐわかるで。」
「周作さん、ありがとう。 この世界の片隅に、うちを見つけてくれて、ありがとう周作さん。」
「ほいでもう離れんで、ずっとそばに居って下さい。」

無題
原爆で親を亡くした孤児を拾ったすず周作
その子もまた、この世界の片隅にいたところを見つけられた小さな命。
幸せだと思えたその場所が、求めていた居場所・・・

「みんなが笑うて暮らせればええのにねえ」
祈・平和。

348641_001.jpg 
とにかくまずは観てちょうだいとしか言いようのない傑作。
確かに原作と比べれば厚みが足らないかもしれませんが、映像作品としては十二分に足りる密度抜群の構成は驚異。
さらに何と言っても、能年玲奈あらため、のんの声優ぶりは奇跡と言っていいでしょう。
「あまちゃん」以来、なんかフワフワしていて「どうしたんかな、この子?」と心配しましたが、さすがですね。
北條すずに命を吹き込み、この映画にバイタリティをもたらした最大の功労者です。

エンドロールでは、原作にもない、すずのその後が描かれており、ホノボノしますねえ。
最後の最後に、右手がバイバイしてるラストカットがハッピーな気持ちにさせてくれます。


「賢人のお言葉」
 
「最後に帰ってくる場所。 どんな時でも温かく迎えてくれる場所。 それが家庭であり、家族なのです。 そこにしっかりとした自分の居場所があればこそ、人は安心して生きてゆけるのです。」
 ドロシー・ロー・ノルト
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