高倉健&菅原文太
2014年12月10日
去る11月10日に高倉健さんが亡くなられ、それから3週間足らずのうちに、菅原文太さんが28日に亡くなられました。
人間はいつかは死ぬもんですが、残された者の試練とは言え、もう姿を見れないというのは辛いですね。
日本映画の一時代を築いた、この二大俳優が相次いで世を去り、ひとつの時代が終わったような感じです。
高倉健は寡黙な役柄が多いですが、その分、目線や口元の動きだけで心情を表現する独特の空気を放つ人でしたね。
映画館で初めて高倉健の映画を観たのは「野性の証明」でした。
正直なところ、薬師丸ひろ子目当てだったですけど。
それ以前の「新幹線大爆破」、「幸せの黄色いハンカチ」、「八甲田山」は、テレビで観ましたね。
特に「幸せの黄色いハンカチ」は最高ですね。
若き頃の高倉健というと、どうしても「網走番外地」や「昭和残侠伝」などの、やくざ映画のイメージが強く、本人もそれに随分悩んだらしいですが、東映を辞めて人侠スターから脱却してからの高倉健は神でした。
「駅 STATION」、「南極物語」、「居酒屋兆次」、「ブラック・レイン」、「四十七人の刺客」など名作は多いですが、個人的には「鉄道員(ぽっぽや)」ですね。
乙松の役ができるのはこの人しか有り得なかったでしょう。
不器用な男・高倉健の魅力爆発。
コレはいい映画でした。
高倉健と言えば「背中」ですね。
背中で語る。 背中で泣ける。
あんなカッコいい背中を持った人っていませんよ。
遺作の前の作品であった「単騎、千里を走る。」で玉龍雪山をバックにした健さんの背中が凄く印象に残っています。
生きざまが演技に滲み出てくると言っていいのでしょうか、健さんはその人柄でも親しまれました人でした。
公私に渡って多くの人に影響を与えましたし、元妻の江利チエミさんの命日には墓参りを欠かさなかったエピソードもグッときますね。
高倉健・・・最高です。
「弾はまだ残っとるがよぉ。」
菅原文太と言いますと、「仁義なき戦い」でしょう。
あれで、この人は一気にスターになりましたからね。
映画の方も、人侠映画の固定観念を覆した名作でした。
これは確かレンタルビデオで観たんじゃないかなあ。
菅原文太の作品で、映画館で観たのは?と、フィルモグラフィーを眺めながら記憶を辿ったけれど、これが驚くほどない。
「どら平太」と、「妖怪大戦争」だけ。
声優も含めるのなら、「千と千尋の神隠し」、「ゲド戦記」、「おおかみこどもの雨と雪」も確かに観たといえば観たうちに入りますが。
テレビでなら「ダイナマイトどんどん」、「太陽を盗んだ男」、「トラック野郎」シリーズもたぶん一本だけ観ましたかね。
♪ 男の旅は~ ひとり旅ぃ~
なんか、もっといっぱい、文太さんを観てるような気がするんですけどねえ。
「朝日ソーラーじゃけん」のCMの印象が強く残ってるからかなあ?
ドラマの仕事も多かったですが、「古畑任三郎」の犯人役で登場した時の存在感はハンパなかったですねえ。
何年か前に息子さんを事故で亡くされて、つらい時もあったでしょうが、映画、テレビ、声優などに加え、社会活動にも積極的に取り組んでおられました。
教育や、原発、沖縄の基地、集団的自衛権など、日本が抱える問題を心から憂いながら、我々に熱いメッセージを送ってくれました。
ニッポンのガンコ親父に感謝です。
入院中に、健さんの死去を知らされ、「健さん、東映、映画のことは時間を置いて自分で書きます。」と関係者にコメントしてから間もなく、まるで後を追うように文太さんは逝ってしまった・・・。
高倉健と菅原文太は共演してるのだろうかと、いろんなところをググったりして調べましたが、割とあるんですね。
「網走番外地 吹雪の斗争」(67)
「ごろつき」(68)
「博徒列伝」(68)
「懲役三兄弟」(69)
「日本暗殺秘録」(69)
「日本ダービー 勝負」(70)
「最後の特攻隊」(70)
「関東緋桜一家」(72)
「縛奕打ち外伝」(72)
「山口組三代目」(73)
「神戸国際ギャング」(75)
「大脱獄」(75)
二人が直接絡んでいないのもありますが。
今にして思えば、二人の共演を新たな作品で観たかったですね。
時のうつろいと共に、星は消え、星が生まれる。
日本映画史の2つのページに瞬いた巨星が静かに役割を終えて、新たな星が日本映画を彩る。
日本映画はこれからも第二の高倉健、第二の菅原文太を生んで、瞬きを受け継いでいく。
見守っていて下さい。 日本映画のこれからを。
高倉健さん。 ありがとうございました。
菅原文太さん。 ありがとうございました。
お二人とも、おつかれ様でした。
人間はいつかは死ぬもんですが、残された者の試練とは言え、もう姿を見れないというのは辛いですね。
日本映画の一時代を築いた、この二大俳優が相次いで世を去り、ひとつの時代が終わったような感じです。
高倉健は寡黙な役柄が多いですが、その分、目線や口元の動きだけで心情を表現する独特の空気を放つ人でしたね。
映画館で初めて高倉健の映画を観たのは「野性の証明」でした。
正直なところ、薬師丸ひろ子目当てだったですけど。
それ以前の「新幹線大爆破」、「幸せの黄色いハンカチ」、「八甲田山」は、テレビで観ましたね。
特に「幸せの黄色いハンカチ」は最高ですね。
若き頃の高倉健というと、どうしても「網走番外地」や「昭和残侠伝」などの、やくざ映画のイメージが強く、本人もそれに随分悩んだらしいですが、東映を辞めて人侠スターから脱却してからの高倉健は神でした。
「駅 STATION」、「南極物語」、「居酒屋兆次」、「ブラック・レイン」、「四十七人の刺客」など名作は多いですが、個人的には「鉄道員(ぽっぽや)」ですね。
乙松の役ができるのはこの人しか有り得なかったでしょう。
不器用な男・高倉健の魅力爆発。
コレはいい映画でした。
高倉健と言えば「背中」ですね。
背中で語る。 背中で泣ける。
あんなカッコいい背中を持った人っていませんよ。
遺作の前の作品であった「単騎、千里を走る。」で玉龍雪山をバックにした健さんの背中が凄く印象に残っています。
生きざまが演技に滲み出てくると言っていいのでしょうか、健さんはその人柄でも親しまれました人でした。
公私に渡って多くの人に影響を与えましたし、元妻の江利チエミさんの命日には墓参りを欠かさなかったエピソードもグッときますね。
高倉健・・・最高です。
「弾はまだ残っとるがよぉ。」
菅原文太と言いますと、「仁義なき戦い」でしょう。
あれで、この人は一気にスターになりましたからね。
映画の方も、人侠映画の固定観念を覆した名作でした。
これは確かレンタルビデオで観たんじゃないかなあ。
菅原文太の作品で、映画館で観たのは?と、フィルモグラフィーを眺めながら記憶を辿ったけれど、これが驚くほどない。
「どら平太」と、「妖怪大戦争」だけ。
声優も含めるのなら、「千と千尋の神隠し」、「ゲド戦記」、「おおかみこどもの雨と雪」も確かに観たといえば観たうちに入りますが。
テレビでなら「ダイナマイトどんどん」、「太陽を盗んだ男」、「トラック野郎」シリーズもたぶん一本だけ観ましたかね。
♪ 男の旅は~ ひとり旅ぃ~
なんか、もっといっぱい、文太さんを観てるような気がするんですけどねえ。
「朝日ソーラーじゃけん」のCMの印象が強く残ってるからかなあ?
ドラマの仕事も多かったですが、「古畑任三郎」の犯人役で登場した時の存在感はハンパなかったですねえ。
何年か前に息子さんを事故で亡くされて、つらい時もあったでしょうが、映画、テレビ、声優などに加え、社会活動にも積極的に取り組んでおられました。
教育や、原発、沖縄の基地、集団的自衛権など、日本が抱える問題を心から憂いながら、我々に熱いメッセージを送ってくれました。
ニッポンのガンコ親父に感謝です。
入院中に、健さんの死去を知らされ、「健さん、東映、映画のことは時間を置いて自分で書きます。」と関係者にコメントしてから間もなく、まるで後を追うように文太さんは逝ってしまった・・・。
高倉健と菅原文太は共演してるのだろうかと、いろんなところをググったりして調べましたが、割とあるんですね。
「網走番外地 吹雪の斗争」(67)
「ごろつき」(68)
「博徒列伝」(68)
「懲役三兄弟」(69)
「日本暗殺秘録」(69)
「日本ダービー 勝負」(70)
「最後の特攻隊」(70)
「関東緋桜一家」(72)
「縛奕打ち外伝」(72)
「山口組三代目」(73)
「神戸国際ギャング」(75)
「大脱獄」(75)
二人が直接絡んでいないのもありますが。
今にして思えば、二人の共演を新たな作品で観たかったですね。
時のうつろいと共に、星は消え、星が生まれる。
日本映画史の2つのページに瞬いた巨星が静かに役割を終えて、新たな星が日本映画を彩る。
日本映画はこれからも第二の高倉健、第二の菅原文太を生んで、瞬きを受け継いでいく。
見守っていて下さい。 日本映画のこれからを。
高倉健さん。 ありがとうございました。
菅原文太さん。 ありがとうございました。
お二人とも、おつかれ様でした。
スポンサーサイト