黄色い星の子供たち
2011年08月14日
卍 ナチスドイツの暴挙を描いたホロコースト映画を観るたびに、悲しさというよりも怒りに襲われます。
それが人間に対して人間がすることかい!
この映画も例にもれず、とてつもない怒りの感情が湧き上がるのを抑えることができません。
「ヴェル・ディヴ事件」
1942年7月16日に1万3千人近いユダヤ人が大量検挙された事件。
一方的なナチスの迫害として捉えられていた事件ですが、95年に当時のシラク大統領が公式に責任を認めたことで、実はフランス政府がグルでやった事件であることが明らかになりました。
本作は「1492・コロンブス」の女性脚本家ローズ・ボッシュが長年のリサーチを積み上げて事件の全貌をスクリーンに刻みつけた大作です。
占領当時のフランスは3つに分割されてました。
「ドイツの併合地区」
「イタリアの占領区」
「フランスが自治するヴィシー政府」
ヴィシーのペタン元帥はお飾りの国家主席。
実権を握ってるのはラヴァル首相。
いずれにしても、しょせん傀儡政権です。
ナチスにああだこうだ言われるまでもなく、ユダヤ人が大嫌いな彼らは、積極的に締め付け政策をとっておりました。
ユダヤ人の衣服には黄色の六芒星のマークを付けることを強要。
公共の場所への立ち入りを禁じ、外出時間も制限しました。
アウシュヴィッツにガス室が完成し、いよいよ本格的にユダヤ人を絶滅させたろうかと決めたナチスドイツ。
卍 「ムッシュ・ラヴァル。 ユダヤ人を引き渡してちょうだい。 まとめて殺すから。」
「いいよ~。 ユダヤ人がいなくなったら、せいせいするもんね~。」
警察の責任者であるブスケ長官は協力する条件にこう言いました。
「親衛隊に比べて今の俺たち、影が薄いんじゃね? そこんとこのメンツを立ててくんねえとなぁ。」
卍 「わかった、わかった。 良きに計らえ~。」
こうしてユダヤ人の大量検挙が決定。
卍 「あっ、そうだ。 子供はいらないよ。 “人道的配慮”ってやつ?なんてね~」
「めんどくさいよ。 孤児の面倒なんか見てられませんから。 子供も引っぱってってよ。」
きさまらというヤツは・・・。
ヴィシーに暮らすユダヤ人の人たちは、クチコミ、噂で情報は知ってたらしいですが、それでも政府を信じてたようですね。
「今まで冷たい仕打ちを受けたけど、そこまではしないだろう?」
しかし、7月16日、午前4時 。
ユダヤ人の人たちのささやかな暮らしが、突然破壊されました。
まるで燃えないゴミでも選別するかのように、人の人生を翻弄する暴挙です。
引き渡された人たちがどうなるかを知りながら、ナチスに1万3千近い人命を差し出したという恥ずべき行為に手を染めたフランス。
連行された人々は、一端、ヴェル・ディヴという冬季競技場内に移送され、しばらく劣悪な環境に置かれたあと、ロワレ県・ポーヌの収容所に移送されます。
それでも家族一緒に励まし合いながら、いつか、こんな悪夢が終わることを人々は祈りました。
しかし、ある日。
子供だけを残し、大人だけが別の収容所へ移されることに。
もう生きて再会することが叶わないことをすでに悟っている親と子供たちの慟哭が鳴りやみません。
検挙者12884人(子供4051人)のうち、生存者はわずか25人(子供は生存者なし)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本作は、わずかな生存者の証言を基にして描かれており、メラニー・ロラン扮する派遣看護師アネット・モノや、ジョー少年のモデルになってるジョゼフ・ヴァイスマン氏は、今も存命しています。
物語は大半がアネットと、ジョーの視点で語られますが、特定のキャラだけを、ことさらドラマチックに味付けすることなく、あの時起こった出来事を、とにかく観てくれというスタンスになっています。
それでも全ての人物に血肉の通いを感じさせるリアルさに圧倒されますね。
無残にも犠牲になった人々が、再びスクリーンに甦ったかのようで、今にも、「私たちを助けて・・・。」という声が聞こえてきそうです。
親と子供が引き離されるシーンは、正視しがたい、この世の地獄です。
ジョーの母親が駆け寄って、我が子の手をとりながら、「約束して。生きるのよ!」と訴えた時の凄まじい表情が印象に残りましたね。
ナチスの暴挙に手を貸したフランスの罪が暴かれてるわけですが、もちろん、フランス人すべてが悪いわけではなく、心ある人たちの手によって、たくさんのユダヤ人をかくまい、逃亡の手助けをしたりするなど、多くの命を未然に救った事実も忘れてはなりません。
ヴェル・ディヴの競技場に収容され、水も与えられず、弱ってる人々。
そこへパリの消防署員たちがやってきて、独断で消火栓を開いて水を振る舞うエピソードが印象深いですね。
ナチスに見つかったら、大目玉どころじゃない危険を冒してまで、勇気ある行動に出た彼らを誇りに思います。
間違ったことに対して見て見ぬふりをしない。
正しいことと思うなら迷わず即行動!
見習いたいもんです。
消防署員のエピソードを観ればこそ、ヴィシー政権のしでかしたことの両極さが、余計に理解できません。
人は偉くなって地位が高くなると、人の命の重さが量れなくなるのでしょうか?
このテの映画を観るたびに、人間の世の中が解らなくなります。
人間が人間を愛し、人間が人間を嫌う。
人間が人間を助け、人間が人間を殺す。
人間が創った世界は、天国でも地獄でもなく、その中間でたゆたい、決して一方向にてんびんは傾かない。
悪い方へ行かないだけ、このキープ・バランスを良しとした方がいいのか?
なぜ、平和な良い世界にならないのか?
結局、その疑問になってしまう・・・。
いずれにせよ、戦争の副産物などというレベルではない、こんな非道は繰り返してはいけません。
「賢人のお言葉」
「いかに多くの罪悪が、「国家のため」という美名の仮面のもとになされたことか。」 ラムゼイ・マクドナルド
それが人間に対して人間がすることかい!
この映画も例にもれず、とてつもない怒りの感情が湧き上がるのを抑えることができません。
「ヴェル・ディヴ事件」
1942年7月16日に1万3千人近いユダヤ人が大量検挙された事件。
一方的なナチスの迫害として捉えられていた事件ですが、95年に当時のシラク大統領が公式に責任を認めたことで、実はフランス政府がグルでやった事件であることが明らかになりました。
本作は「1492・コロンブス」の女性脚本家ローズ・ボッシュが長年のリサーチを積み上げて事件の全貌をスクリーンに刻みつけた大作です。
占領当時のフランスは3つに分割されてました。
「ドイツの併合地区」
「イタリアの占領区」
「フランスが自治するヴィシー政府」
ヴィシーのペタン元帥はお飾りの国家主席。
実権を握ってるのはラヴァル首相。
いずれにしても、しょせん傀儡政権です。
ナチスにああだこうだ言われるまでもなく、ユダヤ人が大嫌いな彼らは、積極的に締め付け政策をとっておりました。
ユダヤ人の衣服には黄色の六芒星のマークを付けることを強要。
公共の場所への立ち入りを禁じ、外出時間も制限しました。
アウシュヴィッツにガス室が完成し、いよいよ本格的にユダヤ人を絶滅させたろうかと決めたナチスドイツ。
卍 「ムッシュ・ラヴァル。 ユダヤ人を引き渡してちょうだい。 まとめて殺すから。」
「いいよ~。 ユダヤ人がいなくなったら、せいせいするもんね~。」
警察の責任者であるブスケ長官は協力する条件にこう言いました。
「親衛隊に比べて今の俺たち、影が薄いんじゃね? そこんとこのメンツを立ててくんねえとなぁ。」
卍 「わかった、わかった。 良きに計らえ~。」
こうしてユダヤ人の大量検挙が決定。
卍 「あっ、そうだ。 子供はいらないよ。 “人道的配慮”ってやつ?なんてね~」
「めんどくさいよ。 孤児の面倒なんか見てられませんから。 子供も引っぱってってよ。」
きさまらというヤツは・・・。
ヴィシーに暮らすユダヤ人の人たちは、クチコミ、噂で情報は知ってたらしいですが、それでも政府を信じてたようですね。
「今まで冷たい仕打ちを受けたけど、そこまではしないだろう?」
しかし、7月16日、午前4時 。
ユダヤ人の人たちのささやかな暮らしが、突然破壊されました。
まるで燃えないゴミでも選別するかのように、人の人生を翻弄する暴挙です。
引き渡された人たちがどうなるかを知りながら、ナチスに1万3千近い人命を差し出したという恥ずべき行為に手を染めたフランス。
連行された人々は、一端、ヴェル・ディヴという冬季競技場内に移送され、しばらく劣悪な環境に置かれたあと、ロワレ県・ポーヌの収容所に移送されます。
それでも家族一緒に励まし合いながら、いつか、こんな悪夢が終わることを人々は祈りました。
しかし、ある日。
子供だけを残し、大人だけが別の収容所へ移されることに。
もう生きて再会することが叶わないことをすでに悟っている親と子供たちの慟哭が鳴りやみません。
検挙者12884人(子供4051人)のうち、生存者はわずか25人(子供は生存者なし)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本作は、わずかな生存者の証言を基にして描かれており、メラニー・ロラン扮する派遣看護師アネット・モノや、ジョー少年のモデルになってるジョゼフ・ヴァイスマン氏は、今も存命しています。
物語は大半がアネットと、ジョーの視点で語られますが、特定のキャラだけを、ことさらドラマチックに味付けすることなく、あの時起こった出来事を、とにかく観てくれというスタンスになっています。
それでも全ての人物に血肉の通いを感じさせるリアルさに圧倒されますね。
無残にも犠牲になった人々が、再びスクリーンに甦ったかのようで、今にも、「私たちを助けて・・・。」という声が聞こえてきそうです。
親と子供が引き離されるシーンは、正視しがたい、この世の地獄です。
ジョーの母親が駆け寄って、我が子の手をとりながら、「約束して。生きるのよ!」と訴えた時の凄まじい表情が印象に残りましたね。
ナチスの暴挙に手を貸したフランスの罪が暴かれてるわけですが、もちろん、フランス人すべてが悪いわけではなく、心ある人たちの手によって、たくさんのユダヤ人をかくまい、逃亡の手助けをしたりするなど、多くの命を未然に救った事実も忘れてはなりません。
ヴェル・ディヴの競技場に収容され、水も与えられず、弱ってる人々。
そこへパリの消防署員たちがやってきて、独断で消火栓を開いて水を振る舞うエピソードが印象深いですね。
ナチスに見つかったら、大目玉どころじゃない危険を冒してまで、勇気ある行動に出た彼らを誇りに思います。
間違ったことに対して見て見ぬふりをしない。
正しいことと思うなら迷わず即行動!
見習いたいもんです。
消防署員のエピソードを観ればこそ、ヴィシー政権のしでかしたことの両極さが、余計に理解できません。
人は偉くなって地位が高くなると、人の命の重さが量れなくなるのでしょうか?
このテの映画を観るたびに、人間の世の中が解らなくなります。
人間が人間を愛し、人間が人間を嫌う。
人間が人間を助け、人間が人間を殺す。
人間が創った世界は、天国でも地獄でもなく、その中間でたゆたい、決して一方向にてんびんは傾かない。
悪い方へ行かないだけ、このキープ・バランスを良しとした方がいいのか?
なぜ、平和な良い世界にならないのか?
結局、その疑問になってしまう・・・。
いずれにせよ、戦争の副産物などというレベルではない、こんな非道は繰り返してはいけません。
「賢人のお言葉」
「いかに多くの罪悪が、「国家のため」という美名の仮面のもとになされたことか。」 ラムゼイ・マクドナルド
スポンサーサイト