イニシェリン島の精霊
2023年02月17日

ン十年間、大阪市内にずーっとってわけではなく、2003年から2012年のあいだの9年間だけ仕事の転勤で大阪を離れており、近畿圏内の某所の田舎に住んでた時期がありました。
田舎と書いたその某所。 明記はしませんが多分地元の方に言わせれば「うちは言うほど田舎じゃないよ」とおっしゃられるでしょう。
少々そこが微妙でしてね。
駅の近くにはイオンもありましたよ。 イオンしかないけどねっ!
田舎と言えば田舎だし、田舎じゃないと言えばまあそうなんだけど。
そうか・・・ 地方と言った方がいいか。
でもね、自転車さえ必要ないほどの暮らしだった大阪から、車がなきゃ生活できないって場所に越してきたときのギャップのキツさはなかなかのもんでしたね。
「田舎暮らしに憧れるなあ」とか「歳を取ったら田舎に越して畑でも耕しながらのんびりと・・・」なんて都会の衆がこぼしたりしますが、「やめとけ」と言いたいですね。 アッシは二度とご免ですね。
住めば都とか言いますが、あれは嘘ですな。
不便ってのはなかなか強敵ですよ。
それと、「人」。
あえて細かく書きませんが、「田舎の人」にはガッカリでしたね。 たまたま、そういう人に当たっただけかもしれませんけど。
特にサービス業や接客業の従業員の態度というか意識の低さ。 これはビックリしましたね。
おまえ、大阪じゃそれは通用せんぞと何回思ったか。
いや、ちゃんとした所もありますけどね。
なんでしょうかねえ? 環境がそうさせちゃうのかな?
そうとしか考えられんのですよ。
映画のことを書かずに、田舎をディスることばっかり書いてしまってますが、実はこの「イニシェリン島の精霊」を観て、過去の田舎暮らしを思い出すと同時に、寂れた場所が人の心も寂れさせるのかと思った次第。

アカデミー賞2部門を受賞した「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督の最新作はアイルランド沖に浮かぶ孤島の村を舞台に描かれる、友情崩壊の物語。
時代は今から100年前の1923年。
アイルランドで内戦が勃発したその次の年である。
イニシェリン島は、アイルランド西岸沖に浮かぶアラン諸島のイニシュモア島をモデルにした架空の島。
見渡す限り、草原と岩肌しかない、ほぼ絶海の孤島である。
島民はみんなが顔見知り。 その程度の数の人しか暮らしていない。
一年続いた内戦もまもなく終わろうかという春。
島に暮らす、気のいい青年パードリック(コリン・ファレル)。
彼にはいつも一緒にパブへビールを飲みに行く音楽家のコルム(ブレンダン・グリーソン)という長年の親友がいる。

ところがパードリックはある日突然、コルムから嫌われる。
パブに誘っても来ないし、勝手に行っては別の席に座り、パードリックが近寄ってきたら別の席に移るという、ほぼガン無視と言っていいほどにパードリックはコルムから避けられる。
パブの主人も常連さんも「なんだ、おまえらケンカしたのか?」と心配し、パードリックはコルムに「俺が何かしたのか? 昨日酔っ払ってなんか言ったのか? だったら言ってくれ」と言うのだが、コルムは「何もない。 ただ嫌いになった」というだけ。
ツンである。 ただのツンおじいである。

昨日まで仲が良かったのになんで?と理解できないパードリックが食い下がるとコルムはその理由を語る。
「このまま歳を取るのが怖い。 残りの人生を作曲や思考に費やしたい。 おまえとの無駄話に時間を使いたくないんだ」
そんな理由で? 到底納得できないパードリックはコルムの態度に首をかしげるしかない。
パードリックは9年前に両親を亡くし、今は妹のシボーン(ケリー・コンドン)と同居している。
理知的で読書好きなシボーンは、飼ってるロバを家の中にたまに連れ込むパードリックにブーたれる。

そんなパードリックを気にかけて支えてるシボーンもまた、兄と仲違いしたコルムに事情を聞きに詰め寄ったりする。
「奴は退屈なんだ」とコルムは言う。
「それは昔からよ。 この島で退屈以外に何を求めるの?」
「静けさだ」
退屈な人間だと言われりゃそりゃパードリックも傷つく。
何もない島に住んでる住民にとっては人とのつながり、コミュニケーションはある意味、娯楽の一種である。 この島で話し相手は衣・食・住の次に必要なものと言ってもいい。
それでも「おまえ、おもろないねん」と言われるのは死刑宣告に等しい存在否定である。
「俺は笑われてるのか? 退屈なのか?」
コルムからどれだけシカトされようが友情を取り戻したくてコンタクトを試みるパードリック。
うんざりした顔でコルムは怖いことを言い出す。

「おまえが話しかけるたびに指を一本切り落としていく。 これ以上俺に話しかけるな。 おまえが話しかけるのをやめるか、俺の指がなくなるかだ」
どうかしてるぜ、ツンおじい。
もちろんエンコ詰めなど真に受けていないパードリックは話しかける。
まさかマジではなかろう。 冗談込みのハッタリでしょうよと普通は思う。
ところが。 おじいは本当にやるのである。

切り落とすシーンはないが、農耕具らしきイカツいハサミで、ほぼ根本と言っていい第三関節の所からバッサリと指を詰める。
コルムはパードリックの家まで行き、切り落とした指を玄関の扉に叩きつけて帰っていく。
なぜそこまで?
歴史に名を残すモーツァルトを引き合いに出し、「自分はすぐに忘れ去られる」という恐れから芸術に勤しみたいのだと言う。
なのに、フィドルを弾くための指をバッサーとやってもうたらあかんやんけ。
しかも一本ではない。 最終的には左手の指5本とも全切りしてしまうのだ。
「北斗の拳」のアミバ状態である。 アミバは両手だったが。 いや、そんなことはいいのである。

このあまりに常軌を逸したコルムの行動にパードリックはもちろん我々観客も戸惑うしかない。
「おまえが嫌いになったんじゃ。 俺に話しかけるなベイべー」というオッサンと、「仲良くしようよ〜」と未練たらたらのオッサンの気持ちがとことんすれ違う。 終始それだけの話なのである。
これがアカデミー賞主要8部門9ノミネートを果たした作品なのかと一瞬怪訝に思ってしまうが、登場人物の少ないこの物語を全体から俯瞰し、孤島がもたらす孤独という毒が人の心を侵食していく闇を覗き込んで見ればだいたい見えてくる。

舞台のイニシェリン島。 人が集まる場所といえばパブ、雑貨屋、教会くらい。 もちろんイオンはない。
島民全員顔見知り。 誰が何をしたとかの噂などあっという間にみんなの耳に入る。
村というより「ムラ」だろうか。
それにここの人たちは誰も彼も「いらんこと言い」である。 一言多いのである。
何もない狭いところに住んでると、一言増し増し人間になるのだろうか。
ゴシップ好きの雑貨屋のオバハンは人の手紙を勝手に封を開けて読むというアウトなことを悪びれずする。
牧師は、悪態をつくコルムに冷静に応じず「地獄に堕ちろ、クソ野郎!」と聖職者が言っちゃあいかんことを言う。
警官はテメエの息子を虐待する。 パードリックを「腑抜け」と小馬鹿にし、虐待のことを持ち出して言い返したパードリックを白昼堂々路上でボコる。
その警官の息子ドミニク(バリー・コーガン)は知的障害な一面があるので仕方ないのだが、無神経な問題児であり、シボーンに向かって「ねえねえ、なんで結婚しないの?」とセクハラの代表格ワードを臆面もなく口にする。
気がついたらそこにおる!みたいな怪しさ満点の老婆のマコーミック夫人は「島に二つの死が訪れる」と不気味で怖い予言をなさる。

イニシェリン島は、のどかで人がみんな温かいというようなユートピアな田舎ではない。
寂れすぎた空気に毒されたかのように、みんな揃って人が悪いのだ。
もちろん一番変なのはコルムである。
作曲活動に専念したいという言い分は詭弁である。 そんなに依頼が殺到する売れっ子の大作曲家のセンセーではあるまい。
しかも自分で指チョンパしてるのだから音楽に本気で取り組む気などないのは誰の目にも明らか。
彼は突然悟ってしまったのだ。
長年この島で暮らしてきて、ふと我に返ったのだ。

こんなしょーもない島で過ごしてきた自分の人生って何だったのだろう? 好きな音楽で名を挙げたい若かりし頃の情熱はどうした?
気がつきゃ老い先短い自分は何も残してこず、この先何も残しそうにない。
しかも、長い付き合いだった友人は悪い人間ではないが考えてみりゃ、クソおもろない話ばっかりする奴で、あいつの無駄話に付き合って貴重な時間をドブに捨ててきた自分を呪いたくなった。
これからは、少なくともあいつの話し声とは無縁の人生を送りたい。 あんな雑音を聞くために音楽家である自分の人生があるのではない。
一方でコルムはパードリックという男との今までやこれからのことに思いを馳せる。

あいつはまだ若い。 面倒を見なければならない両親はもういない。
選択肢は俺より遙かに多くあるのに、こんなちっぽけで何もない島で牛飼いをしながら毎日老いぼれと酒を飲んで与太話をして人生を浪費していくつもりなのだろうか。
それでいいと思っているのだろう。 良くはないと思っても、じゃあどうすればいいのかが分からないのだろう。
島には同じ世代の男がいないあいつには、俺以外の友だちがいない。 ドミニクでは友人になれない。
俺がいなければ雌のロバを話し相手にしているイタい男だ。
島がそうさせてしまったのだ。 この島に長く居すぎたあいつは、もっと違う人生を見つけようという考えさえも及ばぬ負け犬になってしまったのだ。
あいつのためにも絶交するのが一番いい。 「絶交だ」と言われたらあいつはメソメソしながらうろたえるだろう。
だが、そこから進まなければいかんのだ、あいつは。
と、いうことで、コルムはバッサリとパードリックとの関係を断ち切る。

パードリックはうろたえながらも、そこで「ああそうですか。 おまえがそこまで嫌がるならもういいよ」とはならず、どこまでもツンツンされようがしつこく食い下がる。 まるでストーカーである。
やはり理由を知りたいし、納得がいかないのだろう。 それは観客も同じなのだが、指を切り落とす行為を見せられても、簡単におまえから離れんからなというパードリックの姿勢には、この男にも問題ありということを誰もが感じるだろう。
コルム以外にこれという友だちがおらず、午後2時のパブでの二人男子会しか楽しみのない男は絶対にコルムとの関係を手放そうとせず、ジタバタしてるうちに本土で仕事が見つかったシボーンに去られ、ロバはコルムの指を食って喉にでも詰まらせたのかポックリと死んでしまう。

そしてシボーンにコクって玉砕したドミニクは水死体となって発見される。
妹もロバもドミニクもいない。 コルムとの友情も終わる。 パードリックの周りから誰も彼もが消えていくのだ。
ロバが死んだ悲しみと怒りからパードリックは復讐の行動に出る。
本土では内戦の真っ只中。
物語の前半で、本土から聞こえる砲弾の着弾の音と煙を見たパードリックは「せいぜい頑張れ。 何の戦いか知らんが」と吐き捨てる。
それがよもや、何が理由なのか分からない“内戦”に自分がせいぜい頑張ることになろうとは彼も予想しなかっただろう。
本土の内戦はまもなく終わろうとしているが、パードリックとコルムの内戦は始まったばかりというところで話は締めくくられる。

確かにこの物語はアイルランドの内戦もメタファーとして描かれている。
同郷の友人同士が突然分断されるのは都会であろうと田舎であろうと起こり得る。
理由は大なり小なり、相手が誰だろうと諍いというものが絶えないのが人間の世界である。
「おまえがそうするんならこうするぞ」という脅しをチラつかせるパワーゲームが起き、戦いはやがて家族も友人も他の動物も消えていく悲劇へと激化する。
地球でも孤島でも、住んでる世界はあまりに小さいというのに、白黒つけるために人は怒り、血を流す。
喜劇か?悲劇か? 人間は面白くて悲しい。
マーティン・マクドナーは「スリー・ビルボード」で人間の秘められた負の要素を引きずり出したが、今回の作品も一応ソレ系の話であるとはいえ、シンプルすぎて漠然としていて読み取りにくい。
正直、人にオススメできる映画ではない。

しかし、単なるオッサン二人の仲違いの話をマクドナーでなくとも、いっぱしの監督なら作るはずはなく、「それからどうなる? なんでそうなる?」がずっと湧き続ける不思議な魅力を醸す本作に考察欲を掻き立てられる映画ファンは少なくなかろう。
パードリックとコルムの、良好だった頃の関係が描かれておらず、パードリックがどれほど退屈な奴だったのかや、嫌われるきっかけのようなことなどはこちらが想像するしかない。
パードリックにしても「きれいなオネーチャンと遊びてえなあ」という素振りなどまるでなく、コルムとの関係修復にあれだけ必死になるのは、この二人、ひょっとしてゲイなのか?という想像に至るのももっともである。
確かにそれを感じさせる描写はなくもない。
だがアッシはもう少しイカれた考察をしてみた。

【 コルム、すでに死んでてアレになってる説 】
死んでる? 家が燃えたとき? NO! 最初っからである。
映画が始まり、パードリックがコルムの家に行き、パブに誘うシーン。 パードリックが窓から家の中を覗き込み、タバコを吸ってるコルムを見つける。
実はもうこのときにはコルムは死んでるのだ。
コルムの肉体は死んでいる。
体の中にコルムの魂は居ない。
では何が?
精霊である。 精霊がコルムの体を借りているのだ。

前日にパードリックと酒を飲んで別れたあと、コルムは急病か何かで死んだのだ。 それは精霊のせいかもしれない。
精霊は、ある目的のためにコルムの肉体を借りることにした。
パードリックが面食らうほど、態度が急に変わったのはそのためである。 コルムはもうコルムではないからだ。
そして指を切り落とす行為。
普通はのたうち回るほど痛いはずである。 元々しかめっ面なので涼しい顔というわけにはいかないが、それでもまるで「ちょっとしたスリ傷ですよ」みたいな振る舞いは尋常ではない。
さしたる手当もしないのに傷口が化膿することもない。
痛みを感じない。 傷が悪化しない。 “死人”だからだ。

切り落とした指をパードリックの家の玄関に投げつけていく。 宣言通りにやったぞと示す行為であろうが、人間らしき思考には思えない。
まじないの意味もあるのでないか。 精霊だからだ。
では精霊はコルムの肉体を借りて何をしようとしているのか?
「精霊」はニュアンスからして良いイメージを抱くかもしれないが「聖霊」ではない。 人間の出方によっては呪うことも為す、自然に宿っているものである。
イニシェリン島に宿る精霊は海の向こうの本土で人間が争うことを憂いていた。 人間の憎悪によって穢される大地や海や草花など万物に宿る精霊の仲間たちの苦しみに心を痛めた。

ここに暮らす人間たちも、他人に対して気遣わず、蔑みや嘲りを平気で剥き出しにする。
数が少ないとはいえ、ここの人間どももやがて島に害を為すだろう。
そうはさせまい。 精霊は動いた。
たまたま死んだのか、精霊が死に誘ったかはともかく、死んだコルムに宿った精霊は島民の排除に乗り出した。
なるだけ血なまぐさいことは避けたい。
パードリックは悪い人間ではない。 その妹シボーンも聡明な人間である。
精霊は巧みに彼らを孤立させ島から離れさせるように仕向けた。
本土へ出ていったシボーンは感づいていた。 兄にこんな手紙を送っている。
「兄さん、島を出て。 手遅れになる前に」

シボーンにフラれたドミニクの死は自殺なのか? 否。 コルム(精霊)が殺したのだ。
コルムが投げ捨てた指を食べたロバは死んだ。 喉をつまらせた? 否。 精霊の邪気がこもったものを口にしたからだ。
自分の周りから誰もいなくなったパードリックはもはやこの島で暮らし続けることはできない現実を悟るだろう。
やがて彼もいなくなる。
精霊の声を聴けるマコーミック夫人も使徒として利用されながら、残りの取るに足らない下衆な者たちは追々排除されていくことになる。

コルムの飼い犬が砂浜に立つ主人のことを不思議そうに見つめる。
あなたは誰? ご主人じゃないよね?
私かい? 私は「イニシェリン島の精霊」だよ。
以上。
精霊による島民放逐計画のオハナシ。 それがこの映画である。
すいません、変なことを書きました。
考察を誘う映画って楽しいですね。

「賢人のお言葉」


石川啄木
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