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ショコラ ~君がいて、僕がいる~
2017年02月20日

T0021475p.jpg今の時代、お笑い芸人のサイクルが異常に早いよねえ。
「今年一番のブレイク!」って言われてたと思ったら、次の年にはパッタリと顔を見せなくなり、また別の新たな芸人さんが売れまくっていらっしゃる。

リズムネタか、ワンフレーズギャグでポンと出てくる芸人さんが多いですが、このパターンはもう飽きられたら一発終了です。
「そのギャグ」=「その芸人」というイメージが一度こびりついたら、飽きられるのはギャグだけでなく同時にその芸人さんも飽きられてしまってるんですよね。
こうなると、新しいネタをやってもキツくなってしまいます。
よっぽどフリートークでもイケるってところを見せないと、生き残れません。
大変ですな、お笑い芸人さんも。

それにしても、ブルゾンちえみ、面白いなあ。 来年いるだろうか?


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20世紀初頭のフランスで、白人のフティットと黒人のショコラによる異色の芸人コンビが活躍していました。
もちろん人種差別が激しかった時代でありながら「フティット&ショコラ」は大変人気があったらしいです。
ショコラがボケで、ツッコミがフティットという形のドタバタコントなんだけど、コンビでの活動期間は10年と短く(1895~1905)、フティットはまだしも、黒人のショコラの方はさほど記録が残っておらず、フランス国内でも忘れられた存在になっていました。

この映画は、フランス初の黒人芸人であるショコラことラファエル・パディーヤ(1868?~1917)に光を当て、彼の栄光や知られざる苦悩などを描いた実話です。
ショコラには「最強のふたり」でブレイクして以来ハリウッドでも引っ張りだこのオマール・シー。
フティットにチャップリンの実孫であるジェームス・ティエレが扮しています。
監督は、俳優でもあるロシュディ・ゼム。

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1897年。 この時代のコメディアンの活躍の場は主にサーカス。
ジョルジュ・フティットは、かつては売れっ子だったコメディアンですが、近頃はサッパリ。
ピン芸人である彼のやるような芸はもう古いのか、何をやってもスベリ倒して、もはや過去の人。

仕事がない彼は、サーカス一座のデルヴォー座に売り込みに行くのですが、残念ながら座長のお眼鏡にかなわず。
仕方がないので、ついでに公演でも観て帰ることにしたフティットは、そこでのちのショコラとなる人物と運命的な出会いを果たすのです。

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未開人の様な格好をしてチンパンジーを連れ、客席に向かって「ウォーウォー」と吠えながら子供客たちを威嚇する黒人の男の「見世物」。
その名は『クロンボの王、カナンガ』。
このたくましい黒人の大男にひらめくモノを感じたフティットは、公演を終えた彼に声をかけます。
「新しい演目の相方を探してるんだ。 人を笑わせるのが難しくなったが、おまえとなら・・・。」

カナンガフティットのことを、無茶を言う奇異な人間だと思いつつもお笑いコンビになることを承諾。
デルヴォー座の座長を説き伏せて、出演OKを取り付けたフティット
そしてカナンガは新しい芸名「ショコラ」を名乗ることに。

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「俺たちはコインと同じ、表裏一体。 二人でひとつだ。」

こうして「フティット&ショコラ」が誕生。
サーカスで初のお目見えとなった時、あまりの緊張のためかショコラは一瞬固まってしまうのですが、それを思わずフティットが彼の尻にケリを入れた時、客席から小さな笑いが。
これに手ごたえを感じ取ったフティットは何度もショコラの尻を蹴ってみれば、どんどん笑いも大きくなっていく。
そうか、これがウケるのかと、観客の求める笑いを察したフティットは、オーバーなツッコミとコミカルなリアクションのコントこそ「フティット&ショコラ」の売りとしていくことを決心します。
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ボケのショコラがトンチンカンなことを言ったり、おとぼけをやらかすと、フティットが派手な蹴りや大きなトンカチで叩くなどのツッコミを入れる。
そしてツッコまれた時のショコラのユニークなリアクションで笑いを取るという流れ。
このスタイルが「フティット&ショコラ」の芸として定着しました。
「コント55号」みたいなもんですかね。
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 二人は瞬く間に大人気となり、サーカスは連日満員。
ハナから期待していなかった座長夫婦もビックリ。
「ごほうびにギャラをアップしてあげよう」・・・・とはならず、もともと最低だった待遇は改善されないまま。
今風に言えばボッタクリのプロダクションですな。

そんな時に彼らの芸を見込んだパリの名門「ヌーヴォー・シルク」から引き抜きのオファーが。
ギャラで揉めて、事務所を変わるという芸能界のゴシップは今も昔も洋の東西を問わず。
東京に進出する吉本芸人のごとく、いざパリへとノボッた「フティット&ショコラ」。

舞台はデルヴォー座とは比べ物にならないほどの規模で、お客さんの数も1500人。
彼らの芸はアッという間に観客の心をつかみます。
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一躍大ブレイクを果たし、メディアにも取り上げられて、パリで一番の人気者になった「フティット&ショコラ」。
もちろんフトコロもガッポガッポのウッハウハ。
これで変に勘違いしないで芸の精進に励めばいいのですが、そうはいかないのが人間という生き物の哀しさ。

一旦落ち目になった経験をしていて、芸人という仕事がいかに水モノであるかを知っているフティットは、舞台を下りた途端にサッと笑顔を消してネタ作りに勤しんでいる。
一方のショコラはまるで逆。
稼いだ自分のお金をどう使おうが自由だけれども、着る服も派手になり高級車も転がして、芸人バブルの真っ只中。

客席に美人がいたら芸に集中しないショコラをたしなめるフティット
「努力がファンを呼ぶんだ。」
「ファン? もういるじゃないか。」


この映画はサクセス・ストーリーではなく、自由を求めたひとりの人間の哀しい挫折を描いた悲劇で、後半からは転落する一方のショコラを追い続ける展開となっていきます。
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金を稼げば稼ぐほど、生来の女好きとギャンブル好きが止まらなくなるショコラ
今までが窮屈な人生を送ってきた反動なんでしょうが、お金が人生を狂わせてしまうという、実にステレオタイプな堕落っぷり。
そこに来て、この先の彼が、自身と世間との間にある隔たりを埋める願望を募らせていく事件が起きます。

彼は身分証を持たない不法滞在者でした。
それを知っているデルヴォー座の座長の奥さんが、売れてるショコラを妬んで警察にチクり、彼は逮捕されます。
収監先で待っていたのは警官たちの激しい差別。
ショコラを素っ裸にして、「肌を白くしてやるぜ。」と背中の皮がはがれるまでモップでこすられるのです。
「どうしたって黒んぼは黒んぼのままだ。 身の程を思いしったか。」

政治犯として投獄されていた同房のヴィクトールという男は、有名なショコラのことは知っているのですが、軽蔑半分でショコラに世の中の理不尽さを言い聞かせます。
「毎晩、白人にケツを蹴られる黒んぼの役で金持ちの連中を笑わせてる。 それで満足か、君は? 表向きはみんな自由だの平等だのって言うがバカバカしい。 何が光の都パリだ。」

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キューバで生まれて少年時代を過ごしたショコラには忘れようにも忘れられない思い出があります。
金持ちの白人の家で召使いをしていた父親のことです。
・・・・・その日、父が働いている金持ちの家では来客を招いてテラスで食事が行われていた。
給仕をしている父の仕事ぶりを草陰から少年時代のショコラはそっと見ていたのだ。
会話までは聞こえないが・・・。 父は主人の言いつけに応じて犬の真似をさせられて食べ物を口に放り込まれていた。
金持ちたちは大ウケ、父も愛想笑いをしている。
一瞬、屈辱のあまりに歪んだ表情をした父と目が合った。
・・・・・・あの時の父の気まずそうな、なんとも言えない顔はショコラは一生忘れられない。

そんな苦い記憶がよみがえる中、ヌーヴォー・シルクの座長の尽力で身分証が発行されたショコラはやっと釈放されます。
しかし、パリで開催されていた悪名高い「人間動物園」の一環である「植民地博覧会」で、自分と同じ有色人種が見せ物になっている光景にショックを受け、宣伝のポスターでは自分の顔がほとんどサルの様な顔にデフォルメされていることに、ショコラはハッキリと抵抗します。
「これは何だ? 俺はこんなサルみたいな顔はしていない。 書き直してくれ。」

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傷ついたショコラはますます酒とギャンブルにのめり込み、あげくには悪い薬にまで手を出してしまいます。
借金は膨らむ一方で、取り立て屋の厳しい取り立てに怯える毎日。
もちろん芸にも身が入る訳はなく、遅刻を繰り返したり、フティットに反抗的な態度を取るようになります。
「何のつもりだ? マスター(師匠)を敬え。」
「俺にマスター(主人)はいない。」


見せ物芸人時代からシェイクスピアが恋人だと言うぐらい、本を愛読していたショコラの夢は役者になって「オセロ」の舞台に立つこと。
そのことを座長に訴えても、「白人に蹴られるから君は人気があるんだ。 今、君が役者になっったって世間は受け入れない。」と断言されてしまいます。
しかし余計に頑なになっていくショコラは遂に舞台でやらかしてしまうのです。
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いつもはフティットショコラを蹴ったり叩いたりしますが、いくら芸でもショコラは「白人にケツを蹴られる黒んぼ」はもうウンザリだったのでした。
父は犬の真似をして卑屈な笑いで白人の御機嫌を取っていたが自分は違うのだ。
ここは光の都パリ。 真の芸術とは風穴を開けること。

舞台上で段取りを無視するショコラ
フティットのツッコミも身を交わして避ける。
唖然とするフティットに逆にショコラが平手打ちをくらわすと、何も知らない会場は爆笑。
「ほらな。 これでも客は笑うんだ。 もう終わりだ。」
こうして「フティット&ショコラ」はコンビを解消。

以前に病気の子供を慰問した時、病院で知り合った看護婦のマリーと恋人関係になっているショコラは、彼女の紹介でアントワーヌ劇場の座長と会い、念願の「オセロ」の舞台に立つことが決まります。
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しかしショコラ「今後は本名のラファエル・パディーヤで活動したい。」と希望する。
座長にすれば、“あの有名なショコラ”ですから、看板に名前でも出せば格好の人寄せになるのですが、最初は希望を受け入れたものの、結局は劇場前の看板に「出演:ショコラ」の文字を入れることに。
いや、それよりも・・・
セリフが覚えられん!
マリーにも手伝ってもらって猛練習するが、なかなか・・・。
また、これまで円形の劇場でやってきたクセが抜けず、つい客席に背中を向けてしまって監督からも怒られる。
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それでもなんだんかだで、やっと初舞台を踏む。
手ごたえもバッチリだ!と思ったら大ブーイング。
これは何がいけなかったんでしょうかねえ? 良かったと思うんですが、これは映画を観ててもちょっと分からなかったですね。
ショックのあまり街に飛び出したら、待ちかまえてた借金取りに追いかけられてボコられる。 もう散々なラファエル

思い返せば、あっという間に有名人になって金持ちになっても、黒人は言葉をしゃべるサル程度にしか見てくれない世間の現実にぶち当たり、ギャンブルや酒や女遊びに逃避して、自分の首を絞めていたのだろうか・・・。
二人三脚でやってきた相棒も裏切って、誰も認めてくれるはずのない世界に首を突っ込んだあげくがこのザマなのかとラファエルは絶望の中で悔し涙を流す。

自分の肌の色がみんなと同じだったらこんな目には遭わなかっただろうか。
自分自身がやれるべきことをやった自負はあっても、それでもこんな世界に高望みをした自分が悪かったのか・・・。
あまりに自堕落な自分を責めながらも、結局は黒い肌の者には本当の居場所などない。
あるとすれば、「おまえとは二人でひとつだ。」と言ってくれた彼がそうなのかもしれない。
君がいて、僕がいる・・・・
今、気がついても、もう遅いのだろう・・・・・
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時は過ぎて1917年。
小さなサーカスの裏方として働く年老いたラファエルは結核を患い、体を動かすのもやっとの状態。
遂に倒れて病床に伏せっているラファエルの元をフティットが訪ねてきます。

部屋の壁一面に飾られた「フティット&ショコラ」の写真やイラストの数々・・・ 良かったよなあ、あの頃は・・・。
「肌の色を変えたいと思ってた。 俺はバカな黒んぼだ。」
「俺たち二人は王様だった。 二人なら無敵だった。 そうだろ?」

1917年11月4日。 "ショコラ"ことラファエル・パディーヤ、ボルドーにて死去。

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一人の芸人の、目も当てられない転落人生の悲劇であって、そこまでの話に過ぎないと言ってしまえばそれまでなんですが、史実とフィクションの境目が曖昧ながら、ここで注視すべきは 「人を笑わせてるのか、人に笑われてるのか」という、今でも語られる芸人としてのスタンスの在り方と、「人として見られてるのか、見られていないのか」という人種差別の要素を重ねて語られてるところ。

子供の頃に見てしまったお父さんの惨めな姿というトラウマも甦って、「笑わせてる芸人」ではなく、「笑われてるサルみたいな黒んぼ」だと気づいても尚、自分は人を楽しませることができるのだという才能を信じて儚い夢を見ていたショコラのあがきザマが哀しいですね。

本作の表現でいえば、この当時のフランスでは、人種差別物の映画でよく見られるような、個人から個人に対する露骨な差別が見受けられません。
表面上かもしれませんが、警察官などの一部を除けばむしろ「肌の色など気にしないよ」みたいなフレンドリーな感じを受けます。
この時代はとうにほとんどの国で奴隷制度が終わってますが、それでも「植民地博覧会」や、サルに似せたショコラのイラストなど潜在的な黒人に対する排他意識が見えており、それらをショコラが見て感じながら、白人に迎合しないで「笑わせる芸人」として認められるために葛藤する姿が憐憫の情を呼び起こします。

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これは史実なのかどうかはハッキリしませんが、ジョルジュ・フティットがゲイであることが示唆されています。
カーテン一枚隔てた部屋でショコラがマリーとイチャイチャしている声を聞きながら悶々としている表情や、ゲイバーの様な所で飲み、爪に残っているかすれたマニキュアをゴシゴシ落とすシーンからでも明白なのですが、マイノリティの孤独に苛まれていることからも、反抗するショコラに秘められた苦しみにも一定の理解は少なからず持っています。
セリフにも出てきますが、彼はショコラを愛していましたし、かといって「白人に蹴られる黒人」だから笑われる芸であるという現実は否定できず、一体何がショコラにとって最善なのか掴めないまま、袂を分かったことが最後まで心残りだったでしょう。

ジョルジュ・フティットラファエルが亡くなった4年後の1921年に57歳で死去しています。


劇中で、映画を発明した「映画の父」リュミエール兄弟(ブリュノ・ポダリデス&ドゥニ・ポダリデス兄弟)が、芸をする「フティット&ショコラ」をシネマトグラフで撮影するシーンがあります。
「あ~ダメダメ! 枠からハミ出てるぅ!」
この実際の映像がエンドロールの前に流れます。 これはちょっと感動モノですね。
カメラは固定されていて動かせないんでしょう。 後半、本当に勢い余って二人とも枠外に飛び出てしまう所がおかしいですね。



「賢人のお言葉」
 
「芸というものは虚と実と皮膜の間にあるものなり。 虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間にこそ慰みがあるものなり。」
 近松門左衛門
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マグニフィセント・セブン
2017年02月15日

T0021185p.jpg「父ちゃん、ただいまぁ。」
「息子よ、こっちに来て座りなさい。」
「なあに?」
「おまえ、また学校で悪さをしたらしいな。」
「さては先生、チクッたな。」
「なんだ、その言い草は。 一体何をやらかしたんだ?」
「女の子のスカートをめくったらピーピー泣かれちゃってさぁ。」
「最低だな、おまえ。 そんなのは小学生のやることだ。」
「小学生だけど、僕。 っていうか小学生でもやっちゃダメっしょ?」
「わかってるんなら、そんなしょうもないことをするんじゃない。」
「二度といたしません。」
「これだけは言っとくぞ。 女の子を泣かせる男は人間のクズだ。いいな。」
「アイアイサー。」
「それでナニ色だった?」
「ハ?」
「パンツの色だ。 ナニ色だったかと聞いてるんだ。」
「よく見てないし覚えてないんだよね。」
「おまえはやっぱり人間のクズだな。」
「なんだよソレ!」
「まあいいだろ。 よし、息子よ。今から映画を観に出かけるぞ。」
「やったー! 行こう行こう。 『妖怪ウォッチ』が観たいなあ。」
「ガキか、おまえは。」
「ガキですけど。」
「おまえが一人前の男になる教育のための映画を観に行くのだ。」
「難しそうなのは観たくないよ~。」
「何も難しくはない。 これを観て学べば、おまえも明日からモテ男だ。」
「マジで? そりゃぜひ観なきゃね。」
「そうだ。 少なくともスカートをめくっておいて見るべきモノを見逃すクズにはならない。」
「まだ言ってんのかよ!」
「ただ面白がって意味のない行動をするなと言ってるんだ。」
「父ちゃんの言ってる意味が分からんわ。 それで?観るのはなんていう映画?」
マグニフィセント・セブンだ。」
父ちゃん、それ3回続けて言ってみて。」
「ことわる。 さっき何回も練習して、やっと舌を噛まないようになったところだ。」
「そこまでのタイトルじゃねえでしょう! 舌足らず過ぎだよ。」
「男に早口言葉のスキルなど不要だ。 とにかく映画館に行くぞ。」

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「息子よ、『七人の侍』を以前にDVDで観せたよな。」
「クソ長い映画だったねえ。」
「クソ長いとか言うな。 大和民族の宝だぞ、あの映画は。」
「確かにあれは子供でも楽しめる娯楽傑作だよね。」
「ならば、その『七人の侍』をハリウッド・リメイクした『荒野の七人』はどうだ?」
「父ちゃんとこの前、『午前十時の映画祭』で観たじゃん。」
「そうだったな。 アレを観ておきながら、学校で女子を泣かすとは、おまえは何も学んでおらんようだな。」
「そこまで深く考えながら観てないよ。」
「今から観る『マグニフィセント・セブン』は『七人の侍』と、そのリメイク作の『荒野の七人』を原案にした西部劇だ。」
「じゃあ、おんなじ話?」
「9割方は同じと思っていいんじゃないかな。」
「監督はアントワン・フークアか。 『イコライザー』とか『エンド・オブ・ホワイトハウス』とか面白かったよね。」
「キャストもいいなあ。 デンゼル・ワシントンにイーサン・ホークの顔合せは同じフークア監督の『トレーニング デイ』の再コラボというのが憎いなあ。」
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「父ちゃん、面白かったね。」
「エンドタイトルにエルマー・バーンスタインの『荒野の七人』のメインテーマが流れた時はしびれたなあ。」
「ドラマよりもアクション重視だったね。」
「そりゃあ、どう作ったって『七人の侍』を超えられる訳はないし、『荒野の七人』ほどのカタルシスにもほど遠いが、その分アクションはド派手になっている。 これはこれで十分楽しめる痛快な西部劇だな。」
「アントワン・フークアが『荒野の七人』をどう料理するか?だったけど、割とストレートだったね。」

「依頼人の女性のエマ以外の村人とガンマンたちの交流のドラマも排除してしまってるので、“弱きを助けて悪をくじく”大義のスピリットに対するアクセントも弱い。 フークワはそこらへんは承知で、勧善懲悪の動機にいちいち理屈を持ちこまないことにしたんだろう。」
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「いろんな人種が出てくるのも特徴だね。」
「黒人、アジア人、メキシコ人、ネイティヴ・アメリカン。 しかもアジア人+残り3人の白人は全員死んでしまうからなぁ。」
「トランプさんへのあてつけ?」
「撮影が始まったのが一昨年だからそんな他意はないと思うけど、多様性を拒む今のアメリカにタイムリーなほどの牽制になってるな。」
「“正義より復讐を”と言ったエマさんに賛同したはずのリーダーが実は復讐目当てだったオチのつけ方も意外。」
「そうだな。 過去作と比較してしまったら賛否両論になるだろうけど、せっかくデンゼル・ワシントンがやってる役だし、ただのクールな賞金稼ぎに終わらず、家族を愛していた人物の血肉の通いが感じられた点では却ってこれも良かったと思うけどな。」

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「どうだ息子よ。 少しはいい勉強になっただろ。」
「そうだね。 見返りを求めずに正しいことを為す男たちって憧れるよね。」
「では聞こう。 もしも目の前に、女の子を泣かしている悪ガキがいたらおまえはどうする?」
「大統領に頼んで入国禁止にしてもらいます。」
「ダメだ。 どこの国の話をしている。 そうじゃないだろう。」
「分かってるよ。 そいつが自分よりも強そうで痛い目に遭いそうでも、たとえ勝っても女の子が僕と付き合ってくれる訳でもないと分かってても、いけないことはいけないと正面切って問題に向き合う勇気が大事なんだね。」
「そうだ。 これも言っておこう。 弱い者いじめは絶対にするな。 人間として基本的なことだ。 人間はみな強くあれというのは土台無理で、差がつくの仕方がないことなのだ。 だからと言って『世の中は弱肉強食で万々歳だぜー』と弱きを虐げるボケナスこそ生きるに値しないただのアホだ。」
「きっつー。」
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「はじめから弱い者はいないんだ。 強い者が我慢知らずで、独りよがりで、思考が浅くて、欲深いばっかりに理不尽な力を振るうからこそ弱いものが生まれる。 なぜ認めない? なぜ手を差し伸べて共に歩もうとしない? 同じ時代に生まれて同じ学び舎にいるのに、うざいとかブサイクだとかつまらん理由で人をいじめるヤツらには自分のカッコ悪さが分からんのか? ドラマや漫画でいえば脇の脇のクズキャラだぞ。 なぜそんなモノになりたい? アホだからか?」
「父ちゃん、止まらないなあ。」
「いずれにしても、人間関係で生まれた差と言うのは弱い者から何かを奪うために利用するもんじゃない。 弱い者を踏みつけたりするための武器にしてもならん。 いいか息子よ。 強き力は正しきことに使え。 弱き者を助けるのだ。 男としてマグニフィセント(崇高な)であれ。」
「アイアイサー。」
 Screen-Shot-2016-04-20-at-7_59_01-AM.jpg

Commentary】 
南北戦争終結から14年後の1879年。
アメリカ西部の町ローズ・クリーク。
ヨーロッパから入植してきた開拓者の血と汗の結晶である小さな町は、今や非道な資産家バーソロミュー・ボーグが金の採掘の拠点にするために住民に立ち退きを迫っていた。
保安官も買収されていて、住民にはただ泣き寝入りするしか道はない。
逆らった者は容赦なく殺され、教会も燃やされてしまったローズ・クリークは絶望の空気だけが流れていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード)
非道なやり方で巨万の富を築いたサクラメントの資産家。
私腹のためには手段を選ばずに農民や労働者から搾取するゲス富豪で、付いた仇名は「略奪男爵」。
なにか変なヤクでもキメてるのか、終始イッてるような目つきで面倒くさそうな喋り方をするところが不気味さに拍車をかけている。
金と物量でブイブイいわす、神をも恐れぬM字ヘッドの暴君である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夫をボーグに殺された妻のエマ(ヘイリー・ベネット)は、ボーグと戦ってくれる用心棒を捜し、やがてお尋ね者を追っていた賞金稼ぎのチザムと出会う。
エマの依頼にチザムは問う。
「復讐を望むのか?」
「正義を。 復讐は手段よ。」
かくしてローズ・クリークに迫る危機を救う決心をしたチザムは共に戦う仲間を次々とスカウトしていく。
そして集った崇高なる7人の戦士たち。
一週間後には町に襲来するボーグの率いる数百人もの軍勢を相手に、ただ真っ直ぐに正義を貫く男たちの誇り高き戦いが幕を開けようとしていた・・・・・・・


【荒野の神セブン】
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[1] サム・チザム(デンゼル・ワシントン)
南北戦争時は北軍の騎兵隊に所属していたスゴ腕のガンマン。
7州にまたがって委任執行官を務めながら、賞金稼ぎとして日々お尋ね者をハンティングし、庶民のみなさんに安眠を提供する西部のイコライザー。
憎たらしいほど常に冷静沈着で、弱者の心に寄り添える慈悲深いハートの持ち主でもある。
バーソロミュー・ボーグとは実は浅からぬ因縁がある。

銃は定番のピースメーカーだが、グリップを前に向けてホルスターに差し、右手首を返して抜くリバースドロー(キャバリー・ドローともいう)というトリッキーなスタイルで銃を抜くのが特徴。
40~50年代に活躍した西部劇スター、ワイルド・ビル・エリオットが得意としていたスタイルであり、「平原児」(36)という映画でもゲイリー・クーパーが披露しているシーンは有名。
ちなみに全身黒づくめなのはユル・ブリンナーのオマージュ。

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[2] ジョシュ・ファラデー(クリス・プラット)
酒・女・バクチ・・・・・男をアゲるかサゲるか紙一重の三種の神器をこよなく愛する、さすらいのギャンブラー。
笑いどころのつかみ辛いジョークを常にまくしたてるので、一見ガサツなチャラ男に見えるが実は人一倍義理堅いホカホカハートの人情マンなのだ。

もちろん銃さばきは超一流で、ピースメーカーの2丁拳銃というスタイル。
右の銃を「妻のエセル」、左の銃を「愛人のマリア」と呼んでおり、そのためか、他人に銃を触られることを殊のほか嫌がる、西部きってのDQN全開野郎である。

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[3] グッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)
元南軍の兵士で、アンティータムの戦いで23人の敵兵を撃ち殺した伝説を持つ“死の天使”。
終戦後、賞金稼ぎをしていた際に知り合った東洋人のビリーとアツアツの友情を育んで、以来仲良くコンビで行動。
敗戦で捕虜になった時に北軍のチザムに助けられたことから多大な恩義を感じており、もちろんスカウトを快諾。

愛用のウィンチェスターライフルで発揮する狙撃スキルは百発百中、千発千中。
頼れるスナイパーとヨイショしたいところだが、これまで多くの死を見てきたトラウマに苛まれており、いざという時にチビるほどメンタルがブレイクダウンしてしまっている。
迷惑はかけられないと途中でドロンしてしまうが・・・・

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[4] ビリー・ロックス(イ・ビョンホン)
お尋ね者として、賞金稼ぎのグッドナイト・ロビショーに追われていたが、あまりにエグい戦闘力を持ったこの東洋人に惚れたロビショーから“友達申請”されて、それ以来ヒューヒューなお熱い仲に。
心に傷を負ったロビショーを常に気遣っているが、少々過保護な面も微笑ましい。

早撃ちの名手であるが、それ以上に目を見張るのがナイフを手にした時の戦闘力。
ガンベルトに差した、長さの異なる9本の短刀で敵をバッサバッサと調理していく、殺しのウエスタン・シェフである。
「ナイフとは、投げる・刺す・裂く。 それだけだ。」

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[5] ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフィリオ)
森の中で熊さんに出会うことはあるが、西部の荒野で出会える熊さんとは彼のこと。
ファラデーいわく「人間の皮を着た熊」という表現もバッチリな、ワイルド極まりないビジュアルの山男。
北米インディアンのクロウ族を300人殺したというハードな逸話を持っているが、意外に人懐っこくて、しかも信心深い。

M1873ウィンチェスターというイカついライフルを持ってはいるが、戦闘になればさすがに山男。手斧と15インチのボウイナイフを振り回して相手に突進する「13金」のジェイソンばりのバトルを好む。
「主よ、示したまえ、我が道を。」と聖書の一節を吠えながらナイフで敵をえぐっていく光景はホラーでシュール。

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[6] バスケス(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)
チンケな強盗に明け暮れていたが、テキサス・レンジャーを殺してしまって賞金首へと見事昇格したメキシカン。
チザムに追い詰められた時は、小屋の中で死体と添い寝していたという、乙なところがあるテラスハウスなアミーゴでもある。
ボーグとの戦いに加わるのなら放免という条件を呑んで仲間入り。

形から入るタイプなのか、銀メッキの2丁拳銃をガンスピンしながら撃ちまくるという、イキリ丸出しのタコス野郎だ。
良い子はマネしちゃダメ。 実弾が入った銃をクルクル回すのは映画だけだぞ。

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[7] レッドハーベスト(マーティン・センズメアー)
メンバー中、最年少のネイティヴ・アメリカン。
名前はコマンチ族の言葉で「赤い狩人」の意味。
長老から「おまえの道は皆とは違う。」とハミゴにされ、スネながら旅していたところをチザムと出会う。

弓矢の名手で、その素早さと正確さは「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラスとタメを張るほど。
戦う時は顔にペインティングするという、こいつもイキリたがりの部類。
白人の食事が口に合わず、「犬の餌だ」とレビューしたまま一切口にしないので、かなりのすきっ腹で戦っていたはず。


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男たるもの、大義に生きて大義のもとに死すべし。
死に場所も死にざまも己で示し、決して命を持ち腐らせるな。
泣く者と共に泣き、泣かせる者に憤怒せよ。
正義を為してこそ、男の道は輝く。
誰かのために流した崇高な血を糧に、正された未来が芽を吹く。



「賢人のお言葉」
 
「死への準備をするということは、良い人生を送るということである。 良い人生ほど、死への恐怖は少なく、安らかな死を迎える。 崇高なる行いをやり抜いた人には、もはや死は無いのである。」
 レフ・トルストイ

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トッド・ソロンズの子犬物語
2017年02月11日

T0021509p.jpg「子犬物語」・・・・
過去にもありそうなタイトルですが、意外にも初出。

動物ものの「子○○物語」という映画は過去にも何作かありまして、たとえばこちら。

『子鹿物語』(46)
グレゴリー・ペックが主演した、児童文学が原作のアメリカ映画。

『子象物語 地上に降りた天使』(86)
武田鉄矢主演。 戦時下が舞台の、実話を基にした感動作。

『子猫物語』(86)
ムツゴロウさんが監督・脚本を手掛け、その年の一番の大ヒットとなった作品です。

『子熊物語』(88)
熊が大熱演! ジャン=ジャック・アノー監督のフランス映画。

『仔鹿物語』(91)
こちらの「鹿」は北海道が舞台の日本映画。


そして・・・・満を持して遂に「子犬」の映画が登場。
さぞや、犬好きが泣いて喜ぶようなワンちゃんムービーなのかと思うでしょう?
ところが、渡る世間は鬼オンリー。
「子犬物語」とタイトルにあっても、これは犬の映画ではありませぬのじゃ。

確かに「犬」は出てきます。
かわいいメスのダックスフントが出ずっぱり。
な~んだ、やっぱり犬の映画じゃないか。 第一タイトルだって「子犬物語」なのに犬の映画じゃなきゃおかしいよねと悪あがきしたい貴兄は、ならば映画館に行って、おもっくそ後悔するがよい。

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ホーホッホッホ~、そこをおどきなさ~い。
ひき殺しちゃいますわよ~。
なに? だまされた?
アタシが出てた映画のこと?
そうよね~。 内容はあんまり犬と関係ないし、特に犬好きの人が観たら、あのラストは胸くそが悪くなったでしょ~?
ホーホッホッホ。 でもね。 タイトルをよ~く御覧なさ~い。
「トッド・ソロンズの」って付いてるでしょ?
そこでピンと来なかったら、観た人の責任ね。

なんつうかねえ・・・ハレモノをつかんで投げつけてくるような人とでも言えばいいかしら。
そんな人よ、トッド・ソロンズって監督は。
作風は大人しいんだけど、日常的な光景の中に「そこをイジる?」みたいな、暗めのブラックユーモアを放り込んでくるの。
だからね、新作を発表するたんびに配給会社とよく一悶着起こすのよ。
そんな監督がホノボノ動物映画なんか撮るわけないでしょ。 ホーホッホッホ。ちゃんちゃらおかしいわ。

この映画はね、アタシが4人の飼い主の間を転々とする、4つのエピソードで構成されたオムニバスなの。
まずは一人目の飼い主。
アタシが生まれてまだ間もない時よ。
【エピソード・わん】
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アタシが最初に引き取られたのは、この3人家族の家。
ここの息子君はレミ(キートン・ナイジェル・クック)といって、9歳になる男の子なの。
気の毒なことに、小児がんを患ってるのね。
そこで、お父さん(トレイシー・レッツ)がレミ君を元気づけようとアタシをサプライズ・プレゼントしたってワケ。

でも、誰に何の相談もなかったもんだから、お母さん(ジュリー・デルピー)は半ギレなの。
いくらサプライズでも、ペットを飼うってことになったら話は別よね。 そりゃそうよ。
こういう後先考えないのが男親の悪い所。

「散歩とかの世話は誰がするのよ!?」
レミ君は病弱ですものね。 するとオヤジは「ワシがする!」とキレ返す。
このオヤジ、見たところ軍人くずれね。
もうね、すっごいイラチなの。
散歩がてらにしつけしながら、アタシを「クソ犬」呼ばわりですもん。
てめえこそクソオヤジでしょうが。 足に放尿してやろうかしら。
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お母さんはアタシに避妊手術を受けさせることにしたわ。
痛いのイヤなんですけど・・・。 で、行きの車の道中。
レミ君って、ちょっと質問魔みたいなところがあるわね。
「何で?」「何で?」ばっかり。
何で人は死ぬのかみたいなことまで言い出して、お母さんは「誰だって死ぬの。 死ぬのは悪いことじゃない。」と言う。
・・・・・・暗っ! やめてよ、そのムード。 無理もないでしょうけど。

レミ君は自分が他の子よりも長く生きられないことを知っている。 それに対して「何で?」が止まらない。
なぜ、こんな体になったのか。 なぜ治らないのか。
お父さんもお母さんも毎日のようにイライラしてて、お父さんは犬をプレゼントするぐらいしか我が子にしてやれることがなくて、かえって面倒ごとが増えてアタシに当たり散らす。
避妊手術・・・つまり子供が生まれてこなくすること。 レミ君、変な風に受け取っちゃダメ。
お母さんがあなたのことを生まれてこなければなんてことなど思ってないわ。
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アタシは家にいる時はほとんどケージの中で飼われたわ。
確かに雑菌とかが心配でしょうけど、何しにここに飼われにきたのやら。
まあ、レミ君を少しでも元気づけれるのならいいんだけど。

お父さんとお母さんが共に外出中に、ケージから出してもらったアタシは思いっきりレミ君とはしゃぎました。
そしてオヤツも食べさせてもらったの。
めっちゃマイウーじゃん! いつものドッグフードより全然イケるわ。
なんていうお菓子? グラノラバー? スチャダラパーじゃなくて?

夕方、お腹が暴れ出して、遂にゲロゲロゲ~。
帰宅したお母さんがレミ君を叱ってた。
グラノラバーって犬に食べさせちゃいけないんだって。 消化できないから。
ああ、でも手遅れね。 体調最悪よ。 あっちゃ~、血ぃ吐くとは思わんかったわ~。
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お母さん、レミ君を責めないで。
レミ君もいろいろ勉強になったよね。
命はね、もろくて儚いものよ。
死は人生の一部でもあるの。 誰にでも等しく訪れる最初にして最後の安寧の時間。 だから怖れてはいけない。
でも死について君が思いわずらうことは今はまだ早いわ。 まだその時は来ていないの。
目の前の人生を懸命に生きるのよ。

それよりもアタシがヤバいことになってるわ。
もう少し長生きしたかったけど・・・


【エピソード・わん×2】
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マジあせったぁ~。 もう死ぬかと思ったわあ。
人間の食い物があんなにヤバいなんて。

レミ君のお父さんがアタシの状態を見て、こりゃダメだと思ったんでしょうね。
獣医さんの所まで運んで、安楽死にしてくれるように頼んだの。
アタシも覚悟したけどね。
なんだかそこまで深刻じゃなかったのかしら。 すっかり良くなっちゃって。

あれ? 飼い主に返さなくていいのかしら?
この獣医さん、アタシを家に連れ帰っちゃったわよ。
いいの?そんなことして。 まあいいか。 この彼女、よっぽど寂しいのかしら?
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彼女の名前はドーン・ウィーナー(グレタ・ガーウィグ)。
ドーンって。 「笑ゥせぇるすまん」みたいな名前ね。
アタシには「ドゥーディ」って名前をつけてくれました。 まあステキ。 どういう意味かしら?

アタシのカンだけどね。 彼女、ガキの頃はいじめられてたクチね。
それも、みんなからよってたかって、教師にも無視されたりとか、生き地獄の青春を謳歌してたのよ、きっと。
おそらく、これもカンだけどね。 妹がいて、めっちゃ美人で親にエコひいきされてたんじゃないかしら。
そんなクソみたいな青春でもやり過ごせたのは、やっぱり恋よ。
で、またまたカンだけどね。
いじめる男子の一人が、自分のことを好きなんだって知りながら彼女はいじめられてたのよ。 フクザツゥ~。
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ドーンはスーパーで昔のクラスメイトだったブランドン(キーラン・カルキン)と再会。
「あなた、私をよくいじめてたわよね~。」とニコニコしながらドーンは言う。
ハハ~ン。 彼女、こういうのがタイプなのね。
でもなんか、生命エネルギーに乏しい男ねえ。
生きてんのか死んでんのか。 無愛想が服着て歩いてるような。
こういうヤツってめんどくさいわよ多分。

「この犬、なんて名前? えっ、ドゥーディ? “うんち”か。いい名前だ。」
へ?? アタシ、うんちって呼ばれてたの?
このボケ飼い主・・・

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ブランドンはドーンを誘って車で遠出。
オハイオに行くんだって。 何しに行くのかしら?

一軒の家に到着し、ドーンを車に残してブランドンはその家の玄関先で年配の女性としゃべっていた。
誰かしら? 母親?
少しして車に戻ってきたブランドンはめっちゃ機嫌が悪そうで、急いで車を出した。
あれは母親に違いないわね。
まあ、いろいろあるんでしょうよ。

やがてオハイオのある家に到着。
ブランドンの弟さんとその奥さんが暮らしてるの。
どちらもダウン症を患ってるんだけど、幸せそうな御夫婦よ。
ブランドンはお父さんが亡くなったことを弟さんに告げてたわ。
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よく分かんないけど、人間って孤独なのね。
たくさんの家族がいても自分の居場所がない思いをすることもある。
お父さんは亡くなり、お母さんからも拒絶され、自分をさぞ頼ってるのではないかと思った弟は幸せな家庭を築いてる。
住むところはあっても魂の落ち着く場所がないブランドンはヤクに溺れてる。

旅の途中でヒッチハイクをしてたマリアッチの家族の父親は、「アメリカでは、人は孤独だ。」と言ってたわね。
アメリカ人だけって訳じゃないけれど、弱いのに寂しいのに、そういう人に限って強い自分を装うのよ。
希望が全く見えなくても、希望はあるんだと言い聞かせて人は生きてるの。
ブランドンの旅はハッピーエンドじゃなかったけど、人のハッピーエンドはそれぞれ違うわ。

ドーンはブランドンの弟夫婦にアタシを譲ることにした。
自分自身のハッピーエンドを探すために。


【インターミッション】
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ホーッホッホッホ。
この映画、なんとインターミッションがあるってビックリしたでしょ。
たかだか88分の上映時間よ。
これもトッド・ソロンズのお遊びね。 っていうか、ただのイチビリよね。
640 b
バックの風景が変わるスクリーンの左から右へとアタシが歩くところを、エリック・ウィリアム・モリスが歌うオリジナル曲「ウインナードッグのバラード」が流れるのよ。

♪ ウインナードッグ  ウインナードッグ♪
♪ 彼女は旅の犬   休憩場所を探す ♪
640 c
ロビーにて軽食を販売いたしております。
トイレも今のうちに・・・な~んて、本当に行っちゃダメよ。
これ、シャレなんだから。 
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本編に戻りま~す。
 

【エピソード・わん×3】
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次にアタシが世話になったのはデイブ・シュメルツ(ダニー・デヴィート)という男。
映画学校の講師なの。
講師をするからには、さぞ有名な映画人かなと思うでしょ?
一応は脚本家なの。
でもね、19年も前にクソしょうもないB級映画の脚本書いてクレジットされただけ。

なんで講師をしてるかっつうと、学校の女性理事が友人だから。 つまりコネ。
このおじさん、その理事に気があるんだけどね。

シュメルツさんが信条としている脚本を書くための秘訣みたいなものがあるの。
『もしも・・・どうする』
つまりね。 もしも○○が××だったらどうする?っていうふうなシチュエーションを考えるだけで物語が生まれるんだって。
そういうもんかしらね。
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エージェントに新作の脚本書いて送ってもナシのつぶて。
あいにくだけどシュメルツさん。 あなたってさあ、才能ないのよ、きっと。
そこんとこ自分でも分かってるでしょ? 認めたくない気持ちは分かるわ。
そのうちチャンスがつかめるはずだって。 ムリね。
人生はね、時にはあきらめも肝心よ。

生徒からもボロクソに言われてるの知ってるでしょ。
「あいつの授業は無駄だ。」って。
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学校の卒業生で、今は新進気鋭の映画監督として売り出し中の男が特別授業に招かれてたわね。
理事から、「良い脚本を書く極意みたいなものがあれば教えてやって」と話を振られたヤッコサンはヘラヘラしながら答えてた。
「授業なんか聞くな。 特にあいつのは。 まだシュメルツは教えてるのか?」
随分と言ってくれてたわよねえ。 教室は大爆笑だったけど。
傷ついたわよね。 まあ気にしなさんなって。

それはそうと、何の買い物してんの、あなた?
爆弾でも作る気?
やっぱり気にしてんの? 怒ってんの?
まっさかあ、本気で爆弾なんか作らないわよね。 ホホホホ。

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作っちゃったわね。
しかもアタシの体に巻きつける? 「スピード」のサンドラ・ブロックみたいになっちゃってるじゃないの。 勘弁してよ、まったく。
また丁度いい胴長ですから、爆弾犬ルックスが妙にキマってるわね。
そして今、アタシは映画学校のロビーで放置。 背中でタイマーがカチカチうるさいわ~。

爆弾処理班が来ましたよ。 どうすんのかしら?
ちゃんとできんの? たのむわよ、そーっと、そーっとよ。
ドカーン!ってビックリした? ビックリしたでしょ、キャキャキャ。・・・って、人間の言葉しゃべれたら、ちょっとイチビってやるんだけどなあ。
なんて呑気なこと言ってられないのよね。

ホントにあのオッサンも、バカたれよ。
早々に捜査の手が回って、やってきた警官に「あんたがシュメルツさんかね?」と聞かれたあなたの返しはナイスだったわ。
「もしも、そうならどうする?」
でもね。 人生の脚本の書き方もB級よ、あなたは。



【エピソード・わん×4】
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爆弾オヤジがムショ行きになったし、今度はちゃんとした飼い主に飼われたいなあと思ってたんだけどね。
これまた偏屈な婆さんよ。 名前はナナ(エレン・バースティン)。
目が不自由なんだけどね。 住み込みの黒人のヘルパーさんと二人暮らしなの。

なんつうか、とんがった婆さんなのね。
どうせ老い先短いんだからと開き直ってるのか、いちいち言うことが邪険なの。
なんで、そんなにツンツンしてんのかしら。

アタシには「キャンサー(癌)」って名前が与えられた。
どいつもこいつも、犬の名前ぐらい普通につけられんのかいな。
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ナナ婆さんのもとに、孫娘のゾーイ(ゾーシャ・マメット)がやってきたわ。
なんだかアブナそうな野郎も一緒よ。 なにコイツ?キモいわ~。
カレシ? 人の好みって色々あるもんねえ。
アーティスト? ヤクの売人じゃなくて?
名前が『ファンタジー』ですって? いちいち驚かされるヤツね。

インスタレーションって、空間デザインみたいなやつよね。
あれってお金かかるんでしょ?
グッゲンハイム美術館の審査に落ちたと悔しがり、ダミアン・ハーストがナンボのもんじゃいとブーたれるファンタジー。
その前に服のセンスなんとかしなさいよ。
第一、ダミアン・ハーストの方はアンタなんか鼻くそとも思ってないわよ。

滅多に来ない孫がジジババの家に顔を見せにくる理由は一つしかないわ。
金の無心ね。 カレシのアートを応援したいってか。 
5~6千ドル? アホじゃないの? 二人でバイトとかすりゃあいいじゃない。
「本当はいくらだい?」
お祖母ちゃん、甘やかさない方がいいって。
1万ドルぅ? アホ孫なんか叩き出しなさい、お祖母ちゃん。
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なんとナナ婆さんは金額を書き込んでいない小切手を孫娘に渡したわ。 金額は好きに書けと。
バタバタッとやってきた孫娘は、小切手をもらったら、来た時と同じようにバタバタッと帰っていった。
婆さんとしては、厄介払いだったのか、この期に及んで孫に嫌われたくなかったのかは分からない。

裏庭に出て、自分を慰めるナナ婆さんの前に、少女の姿をした未来の自分が現れたわ。
人生の分かれ道で捨てた、あなたの知らないたくさんの自分が現れる白昼夢を婆さんは見てたの。
思えばたくさんの「かもしれない自分」を捨てたのね。
「芸術の勉強を続けたあなた」 「心から愛した人と結婚したあなた」 「自分のことを愛したあなた」 「娘を愛したあなた」・・・・・・
もし、“こうしていたら?”という過ぎ去った時間は後悔の影を引くだけ。
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これだけは言えるわ。 過去について思い悩むのが人生の歩き方じゃないわ。
あなたに残された少ない時間を大切にして。
黄昏時を愛おしく迎え、美しく過ごせるように、これからのあなたを愛してね。


さあ、そろそろアタシもこの飼い主の元を離れる時が来たわ。
そう。 アタシは旅の犬。 休憩場所を探すダックスフント。

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ホーホッホッホ。
どうだったかしら、アタシの映画。
最後はちょっとビックリしたでしょ? っていうか引いたわよね。 この監督の底意地の悪さには。
アタシもまさかあんな運命を辿るとは思ってなかったわ。
道路を渡る時はちゃんと左右を確認すること。 チビッコたち、分かったわね。

でもね、あのシーンこそ、「死」というものを特別に見ていない意思があるのよ。
よく、「どうせ死ぬんだったら生きている意味ねーじゃん」っていうタワケ者がいるでしょ。
違うのよ。 死ぬことに意味なんかないの。 どうせ訪れることよ。
「死」がそれまでの人生すべてをぶち壊してしまうという怖れを持つことなどナンセンスなの。
生きているということは、必ずや意味のある素晴しいものなのよ。

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この映画を観ていて気がついたかしら?
4つの物語の主人公は『ガキ』→『若造』→『オッサン』→『ババア』という順になってるわ。
そういうこと。 人ひとり分の幼少から老年までの構図なのよ。
4つの物語を通して、年代を重ねるたびに痛感する皮肉がここにあるの。

映画の途中で挿入されるインターミッションは青年期と中年期の間に挟まれるでしょ?
つまり、人生の中で一番脂がのる壮年期にほとんどの人はヘタに回り道したり、休憩したりして無駄に過ごしてしまいがちなことを指しているのよ。

死は現実に身近にあるものと、あの歳で少年は知る。
人は誰でも孤独なものだと、若者は知る。
いい歳して、身の程を知る中年オヤジがいる。
今さらながらに人生の選択を悔いる老婆がいる。

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人生の皮肉を謳った、これぞトッド・ソロンズのアンチ理想主義ね。
人生は甘いもんじゃない。 辛いことの方が多い。
それでもこの映画は、登場人物の悪あがきや見苦しさを見つめながら、そんな人生さえも大らかに肯定してくれてるの。
なんだかんだで優しい人だと思うわ、トッド・ソロンズって。

だけど・・・
ダミアン・ハーストをバカにしてたファンタジーが、「虎の威を借る」ならぬ「犬の威を借る」いや「衣を借る」というダミアン・ハーストのマネでサクセスをつかむオチがあるなんて・・・・
「死」にも意味があるとまで言い切りたいのかしら。 こんな毒ある形で。
やっぱりトッド・ソロンズはちょっと病んでるのかしら。

ちなみに本作品の撮影において、動物には一切危害は加えられておりませんわ。
それだけは言っておきたくてね。 ホーホッホッホ。
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「賢人のお言葉」
 
「人間を知れば知るほど、私は犬をたたえるようになる。」
 ロラン夫人

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他にもこれ観ました  ~1月編(下)
2017年02月05日

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「彷徨える河」

コロンビア史上初のアカデミー賞外国語映画賞ノミネート作となったシーロ・ゲーラ監督のアマゾン一大叙事詩。
全編モノクロ映像で描かれる、失われた先住民の"記憶"の物語。
ドイツ人民俗学者テオドール・コッホ=グリュンベルクとアメリカ人植物学者リチャード・エヴァンス・シュルテスという実在した二人の探検家の手記をもとに作られた、ドキュメンタリー風の味わい深い逸品です。
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アマゾン流域のジャングルに、文明人の侵略で滅んだ先住民族の生き残りであるカラマカテという若者がいた。
おかっぱ頭で筋骨隆々、ふんどし一丁で暮らし、呪術を使うシャーマンである。
そんな彼を頼って、病気で今にも死にかけてる学者のテオがやってくる。
白人なんか知るか、勝手にくたばれドアホと治療を拒否するカラマカテだったが、やっぱりいい人なのである。
病気を治す薬草ヤクルナを求めて、カヌーをこいでのアマゾン河遡上の旅へと出るカラマカテとテオ。
・・・・数十年後。
すっかりジジイとなったカラマカテ。 今もふんどし一丁でジャングルに暮らしているが、昔の記憶を完全に失くしている。
ヤクルナを求める植物学者のアメリカ人エヴァンと出会ったカラマカテは再びアマゾンの船旅へと出る。
少しづつ記憶を取り戻していくカラマカテとエヴァンの前に、アマゾンの失われたものと、奪った者がもたらした混沌と狂気が待ちうけているのだった。
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緑色というだけでも、いろんな緑色があるであろうアマゾンのジャングルをあえてモノクロで撮った映像はなかなか想像力をかき立てられます。
地味~な映画ですが、行く先々で文明が破壊していった傷跡のごとく、醜悪な白人文化の一面が膿を出すように現れる光景は、何から何までひっくるめて人間のグロテスクさが出てます。
「地獄の黙示録」を思い出しますねえ。
        

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「ザ・コンサルタント」

ベン・アフレックが謎の会計コンサルタントを演じるサスペンスアクション。
主人公のクリスチャン・ウルフという公認会計士は生まれつき「高機能自閉症スペクトラム」という障害を持っています。
気分を落ち着かせるのは「マザーグース」の歌。
他者とのコミュニケーションに難がある他に、特に驚かされるのは一つの物事に対する集中力がハンパないこと。
少年時代にジグソーパズルを絵柄を見ずに、裏向きの状態のまま物凄いスピードで完成させるシーンが圧巻。(ちなみに絵柄はモハメド・アリがソニー・リストンを倒した時の有名な写真。)

数字に対する才能もずば抜けていて、会計士としての仕事も有能。
とある電子機器メーカーから使途不明金の調査を依頼されたウルフは15年分の帳簿をたった一晩で調べ上げて不正を突き止めるのですが、ここから本題のサスペンスの始まり。
その問題の会社の財務責任者が不可解な自殺を遂げ、ウルフは何者かに命を狙われます。

しかし、このウルフ。 父親仕込みの格闘術と、1.5キロ先の標的さえ撃ち抜く射撃術などエグい戦闘スキルの持ち主でもあり、もちろん殺し屋相手に反撃に出るのですが、一介のアクションで終わらないのがこの作品の面白いところです。
過去のフラッシュバックも挿入しながらの伏線の張り方も小憎らしく、ウルフの生い立ちや彼を長年追っている捜査官の過去などのエピソードがスパイスの効いた人間ドラマに仕立てています。

好きな女優のひとりであるアナ・ケンドリックもハツラツとしていて満足。
でも、最後にウルフから贈られた絵はポロックですが、あんな絵の具の線をピュッピュと飛ばしただけのような絵よりも、クーリッジの「ポーカーをする犬」の方が断然いいと思いますがね。
        

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「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ」

NYの大学でアーティスト・コーディネーターとして働くマギー、三十うん歳。
アタシって恋愛が長続きしないの。 気がつきゃもうこんな歳。
よ~し、シングルマザーになろう。 大学時代の変わり者のガイに精子を提供してもらいま~す。 ピクルス屋を始めた数字に強い男なの。
でもね、大学で出会ったジョンという文化人類学者がまたいい男なのよ。
彼は小説家になりたくて、いろいろと話を聞いてるうちにですね、え~っと・・・まあそういう関係になっちゃったのね。
彼には奥さんも子供もいるのよ。 そっ。そういうこと。
ゲスですけど何か? 文春ドンと来いよ。
ジョンの奥さんジョーゼットはコロンビア大学の教授でバリバリのキャリアウーマン。 収入もジョンより上なので家庭のことを押し付けられてた彼はもうイヤになっちゃったのよね。
そして離婚したジョンはアタシと結婚しました。
3年後。 幸せかって? う~ん・・・・・
子供もできたけど、大学の仕事も辞めて小説家の夢ばっかり追ってる中二病のジョンにムカつく毎日よ。
アタシは忙しいジョーゼットに代わって彼女の子供の面倒も見てるんだけど、向こうの家庭にお邪魔してるうちに鬼嫁だとばかり思ってたジョーゼットっていい人じゃん!って分かったのね。
アタシは思ったの。 ジョンはやっぱりジョーゼットと一緒の方が幸せになれるって。
それに本人もまだジョーゼットのことを好きなようだし。
アタシが立てた計画「夫を前妻に返すプロジェクト」が発動よ。
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なんか・・・身勝手じゃないの?
そこらへん、あんまり深く考えないで、自分で人生の何もかもをコントロールできると思い込んでるヒロインのお手並み拝見って気分で楽しむべきコメディです。
まあ、そりゃそうなるわなという結果になりますが、ホントに人の心の移ろいやすさは三角関係のドラマには格好の素材ですね。
感情移入についてはともかくも、映画としては予想外に良作。
グレタ・ガーウィグが中盤まで出ずっぱり。 インディーズブランドのファッションのあれこれを楽しむもよし。
        

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「スノーデン」

2013年、当時29歳の若者がぶちまけた衝撃の内部告発。
アメリカ政府が個人のメールやチャット、ウェブの閲覧記録など世界中のインターネット上の個人情報データを極秘裏に収集するシステムが存在することを暴露し、現在ロシアに滞在している元NSA(米国国家安全保障局)の職員エドワード・スノーデン。
匿名ではなく、自らカメラの前に立ち、本名を名乗り、これまでのキャリアや人生を捨ててまで告発に挑んだスノーデンの素顔や、事件の裏側に迫る問題作。
監督は"怒れる社会派"オリバー・ストーン。
スノーデンをジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じています。 まあまあ似てますな。

香港での告発インタビューの2013年のパートを、彼が軍に志願入隊した2004年から遡っていく時系列の中に時折挿入させていく構成。
いろいろと興味深いエピソードの数々がありますが、9.11以降のアメリカの必死さは怖いものがありますね。
スノーデンの人生も少々巡り合わせの悪い所があります。
スイスの銀行家を酒に酔わせて、飲酒運転で逮捕させた上で取引してスパイに仕立てるCIAの悪辣なやり方に幻滅したのがきっかけでCIAを辞めてるんですが、転職先のDELL社がNSAと契約してまして、外国や民間企業の監視の仕事をやらされて、スパイ活動に躍起になるアメリカの汚なさに彼は心底辟易してしまうんですな。

大国のスパイ行為は“映画の見すぎ・漫画の読み過ぎ”な人種でなくとも「きっとそうだろうな」とは漠然と思ってたし、「やっぱそうでしょう?」と別段驚きもしないんですが、大国がキレたら、マジになったら、ホンマに何でもやりよるのぉという怖さを実感させられる映画ですね。

ただ、スノーデンは起訴されてる身ですので、何でもかんでも本当のことを描くことは難しいようで、実在しない人物が重要な役で出てきたり(リス・エヴァンス演じるコービン・オブライアン)、描かなければいけない人物(ウィキリークスのジュリアン・アサンジ)が出てきません。
ラストでエドワード・スノーデン本人が登場するサプライズがありますけど。
盗み出した情報をルービックキューブに仕込んで持ち出すシーンも完全なフィクションです。
オリバー・ストーンでも手に余るほどの難しい映画だったのが手に取るように分かります。

ニコラス・ケイジは何であんな変な役柄の脇役を引き受けたんでしょうかねえ?
        

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「未来を花束にして」

この映画の原題は「SUFFRAGETTE(サフラジェット)」。
過激な活動を手段とした女性参政権運動家のことを蔑称した名詞です。
イギリスで女性の参政権(30歳以上の制限付き)が認められたのが1918年。
その以前の1912年のロンドンを舞台に、女性参政権運動にのめり込んでいくヒロインを描く、史実を基にしたフィクションです。

キャリー・マリガン演じるモード・ワッツは洗濯工場で働く女性で、夫(ベン・ウィショー)と幼い息子がいます。
女性参政権運動を展開するWSPU(女性社会政治同盟)の過激な活動とそれを取り締まる警察との騒動が絶えない世間に深く関わることなくやり過ごしていたモードですが、9回も逮捕歴のある活動家イーディス(ヘレナ・ボナム=カーター)との出会いや、ひょんなことから無関係の自分まで警察の捜査対象になったり、下院の公聴会で証言する経験などを通じて、違う生き方を望んでいる自分に気がつくのです。
デモに参加して逮捕されて、世間体を気にする夫に家から追い出されても、なお活動へと埋没していくモードにはさらなる試練が待っています。

郵便ポストに放火したり、大臣の別荘を爆破したりと、それってどうなの?とは思いますが、そんなテロ活動でもしないと変わりようのない世の中だったんでしょうね。
アッシは別にフェミニストではないですけど、この映画に出てくる男どもの揃いも揃ってのゲスクズぶりは男として恥ずかしい限りですな。
ヒロインの夫もそうですし、洗濯屋の工場長も、後半ちょっとだけいい人っぽくなる警部さんも、どうかしとるぞ。

WSPUの創設者であり、参政権運動のカリスマ的リーダーだった実在の人物エメリン・パンクハースト夫人をメリル・ストリープが演じ、少ない出番ながらも貫録たっぷりに印象を残します。
1913年の英国ダービー史上最大のアクシデントとなったエミリー・デイビソンの事件もクライマックスに描かれています。

多くの人が傷つかなければ歴史は変わらないもんなんでしょうか。
イギリスの1918年なんて世界的には早い方で、日本は終戦の年の1945年ですし、アメリカなんか建国から140年以上たってから。
直接民主制で、中立主義のスイスに至っては1971年という異例の遅さ。
つまり、1880年代のアルプスの少女ハイジには参政権はなかったということ。
「なぜ女子は選挙に行けないの? ♪おし~えて~おじいさん~♪」
「知らん。 トライの家庭教師に聞け。」
        

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沈黙 - サイレンス -
2017年02月04日

T0013786p.jpgマーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を映画化するという話は、随分前から言ってた記憶がある。
すっかり忘れてたけど、そう言えば製作会社から訴えられてたね。
スコセッシがそのうち作ると言いながら、他の作品ばっかり作ってるもんだから、「おまえ、ええかげんにせえよ」と、イタリア人のプロデューサーが鬼ギレしたらしい。
丸く収まったのだろうか。 まあ、収まったからこうして本作は完成して日の目を見ているのだけれども。


企画が持ち上がってから完成まで実に28年の歳月を要した、スコセッシ一世一代の意欲作。
江戸時代初期。キリシタン弾圧真っ只中の長崎を訪れたポルトガル人の若き宣教師が、信徒たちと共に迫害されながら、自らの信仰心に向きあい、人の弱さや本当に大切なものを見出していく物語。

なんだか高尚な宗教映画のようで肌に合わなさそうだなあと思うなかれ。
意外に敷居は低いのである。
ただ、この映画を観てどう感じるかは人によりけり。
特に無宗教の人の方が向いている映画かもしれない。(日本人の7割は無宗教だけどね)
だもんで、けっこう文章はふざけてますのであしからず。(いつもふざけてるけどね)

無題
時は1640年前後。
日本では島原の乱が収束した頃で、徳川将軍でいうと3代目家光の時代。
 
イエズス会の若きポルトガル人司祭の二人。 セバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ(アダム・ドライバー)。
高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラ教父(リーアム・ニーソン)のお弟子さんである。
日本で布教中の師匠を尊敬してやまない、このお二人さんにある日、寝耳に熱湯のようなニュースが飛び込んでくるのだ。

その日、ローマではロドリゴガルペの二人がイエズス会司祭、ヴァリニャーノ神父(キアラン・ハインズ)に呼び出されていた。
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「話はほかでもないんだけどね。」
「ほかでもなければ帰りますけど。」
「帰るんじゃねえよアホ。 今から大事な話があんの。」
「なんでしょうかね。」
「おまえらの師匠のフェレイラが棄教したぞ。」
「キキョウ? ああ、田舎に帰ったんですか。 そりゃ初耳。」
「その帰郷じゃねえわ! 棄教って言ってんの。 フェレイラがキリスト教の信仰を放棄したんだとよ。」
「な~んだ、帰郷じゃなくて棄教か。 ハイハイ。わかりました。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。   えーっ!?」
「おせえよ!  全然おせえわ!」
「嘘でしょ? うちの師匠に限って。 そんなバカなことをするはずがないよ。」
「いやホントらしいぞ。 日本に行って、なんかよっぽど嫌なことがあったらしいけど。」
「とても信じられない。 このままじゃ、うちの師匠は裏切り者扱いになってしまう。 神父、僕らを日本に行かせてください、お願いします。」
「行くな行くな。 あんな奴はほっとけ。」
「そこをなんとか。 お土産のカステラを一杯買ってきてあげますから。」
「よし行け。 今すぐ行け。」
「そうこなくっちゃ。」

というわけで、ロドリゴガルペの二人は日本の長崎へと向かうのである。
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「M-1に出て優勝目指したろうやないけー。」 ちがう。  フェレイラ師匠の棄教の真実をこの目で確かめるのだ。
見つけ出して棄教が本当だったら、「これはどういうこっちゃねん。」と問い詰めて、師匠といえどもガツンとシメなければならない。

といっても日本は鎖国状態。 トランプ大統領イケイケ状態のアメリカのごとく入国は至難の業。
とにかく手引きしてくれる日本人が必要だ。
まずはマカオを経由。 そこで現地人から紹介されたのがキチジロー(窪塚洋介)という、ボロ雑巾みたいな貧弱な男。
棄教することを「転ぶ」というのだが、このキチジローもすでに転んでいる。
「日本に帰りたいよ~」とヒーヒー泣いている。
よちよち。 一緒に帰ろうね~。 案内よろしくね~。

そうして、長崎のトモギ村に入った司祭たち。
そこで、弾圧から逃れてひっそりと暮らしている隠れキリシタンの村人たちに歓迎される。
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トモギ村のイチゾウ(笈田ヨシ)とモキチ(塚本晋也)がオモテナシ。

「なんもありませんが、ゆっくりしていってくだせえ。」
「温泉ある?」
「あいにく温泉はございやせんが。」
「じゃあシャワーだけでも。」
「シャワーもございやせん。」
「料理は何? カニ? それともフグ?」
「メザシの干物なら。」
「本当になんにもねえな。」
「申し訳ございやせん。」
「温泉と言えば若おかみ。 若おかみはいないの?」
「いたら、こっちが会いたいですな。」
「なんだよ、しけてやがんな。 それでも温泉旅館かよ。」
「うちはただの民家ですが。」
「つまんねえなあ。 じゃあ長崎の夜景でも観に行くか。」
「お侍さんに見つかったら大ごとですので、あまり出歩かない方が・・・。」
「じゃあ、どうしろってんだよ。」
「クソして寝ろ。」

師匠のフェレイラに何があったのか、それが知りたくて東洋の異国の地にやってきたロドリゴガルペ
何があったのかは嫌でも知ることになる。
キリシタンたちに対する幕府の容赦ない弾圧、弾圧、弾圧、弾圧・・・・・・・・
神が与えたにしてはあまりにむごい試練は、救いを信じるロドリゴの心に大きな波紋を投げかけるのだ。


後日、トモギ村にキリシタンを取り締まる幕府の者たちがやってくる。
悪い子はいねえか~ キリシタンはいねえか~
そして学校の歴史の授業でも習った、おなじみの「踏み絵」。 ふみえ・・・、そう言えば細川ふみえは今頃どうしているのだろうか? いや、それどころではない。
キリストの銅版画を足で踏む「踏み絵」を強要される村人たち。
イチゾウ、モキチ、キチジローともう一人の村人の4人が選ばれた。
ロドリゴガルペは身をひそめながら見守る。
358205_006.jpg 
村人たちはロドリゴから「踏んでいい」と進言されていたので恐るおそる踏むのだが、幕府のオッサンも食えないヤツで、それだけで終わらせはしないのである。
今度は木製の十字架の飾りを持ってきて、「これにツバを吐いてみろ。 さあ、どうした、吐け!吐くのじゃ!」
イチゾウ、モキチ、もう一人の村人もギブアップ。
しかし、キチジローだけは盛大にツバを吐いて放免。 もともとはすでに転んでるから遠慮なし。
キチジローはそのまま姿をくらます。

こうしてツバを吐けなかった3人は処刑されることになる。
2016_12_10_18_00_21_Silence_Official_Trailer_1_2017_Andrew_Garfield_Movie_YouTube.jpg
入り江の岩場での磔。 これはまたエグいことをする。
「水磔(すいたく)」と言う処刑だそうである。
満潮になっても完全に水没する所まではいかないが、よせる荒波に叩きつけられるように何度も何度も呑み込まれることで、ジワジワと衰弱死するのだ。
モキチは死ぬまで4日を要した。

この映画には凄惨な拷問や処刑のシーンが多々出てくる。
冒頭では、縛ったキリシタンの体に源泉の熱湯をかけるという、リアクション芸人も飛んで逃げる拷問や、生きたまま火をつけられたり、簀巻きにされて船から海に落とされたりなど、無情のシーンのオンパレード。
「キル・ビル」を思い起こすような斬首のシーンもある。

極めつけは「穴吊り」という歴史的にも有名な拷問。
逆さに吊るして、糞尿のたまった穴に首の部分だけすっぽりと収めて放置するという。
頭に血が上ってすぐに死なないように、耳の後ろに穴を開けて血が少しづつ流れる血抜きの状態にしておくのがミソ。
これで何人もの宣教師が転んだらしくて、かなり効果的かつ残酷な拷問だったようだ。

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とにかくも、モキチたちの壮絶な殉教を目の当たりにし、ここに留まっていたら危ないということでロドリゴガルペは二手に分かれてトモギ村から逃亡する。
ロドリゴが一人で五島列島を歩きながらフラフラになってる所へキチジローが現れて彼を救うのだが・・・・

まもなくしてロドリゴは侍たちに捕らえられる。
キチジローがチクったのだ。
銀300枚と引き換えに。 ゲスか、おまえは。
引っ張っていかれるロドリゴに泣いてわびるキチジロー
この男、転んだとはいえ、信仰の心は捨てていない。 それでも生き延びたいので現実な選択をするのだ。

  
ここからロドリゴの信仰が試される。 物語の最大の綱領である。
ロドリゴをなんとしてでも転ばせたい幕府の大目付、井上筑後守(イッセー尾形)と、信仰を貫き通そうと真っ向からディスカッションするロドリゴの、双方の価値観、スタンス、流儀が火花を散らしてせめぎ合う。
ロドリゴ井上の舌戦は映画の見どころの一つ。

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イノウエサマと呼ばれる、好々爺然とした井上筑後守
この長崎でキリシタン弾圧政策のバックにいる実力者。
イッセー尾形が、印象に残り過ぎるほどの超怪演。

ロドリゴに対して「いずれ、おまえは転ぶ。」と常に余裕しゃくしゃく。
「仏とは人が到達するものだ。 ブッダが人だとかは関係ない。」
「おまえの栄光の代償は彼ら信徒たちの苦しみだ。」
「おまえたちの宗教など、この国では根づかぬ。 種をまいても枯れるだけじゃ。」

とある大名が、互いにいがみ合う4人の側室を、藩に悪影響を残さぬように全員城から追い出したという話をたとえに、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスからやってくるキリスト教からこの国を守らねばならないのだと説く。
「ひとつに絞ればいかがですか。 大事なのは愛と貞節でしょう。」
「おまえは日本という国を知らない。」
「あなたがたはキリスト教を知らない。」
「キリスト教は子供を産めぬ石女(うまずめ)だ。 妻になる資格はない。」

どっちもっどっちじゃのぉ。 "たかが"宗教ぐらいで。
ホント。 "たかが"なことだよ。

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イノウエサマのやることは、さらにタチが悪い。
どこぞの海岸に連れてこられたロドリゴ。 何の余興が始まるのかと思えば、役人に連れられて現れたのは数人の信徒。
その中には別行動を取っていたはずのガルペもいた。。
彼もすでに捕らえられていたのだ。

信徒たちが簀巻きにされて船に乗せられる。
沖に出た所で、海へと放りこまれた末に棒で押さえつけられて沈められる。
海岸でそれを見せられていたガルペは、必死で船のいる所まで泳いで信徒たちを救おうとするのだが彼もまた無残に命を落とすことになる。

あまりにむごい光景にロドリゴは打ちひしがれ、神に問いかけずにはいられない。
「主よ、あなたはなぜ黙ったままなのですか? あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であるならば、今こそ何かを言うべきではないのですか?」
ロドリゴ君、それは無茶と言うものだ。
「私は"無"に祈っているのだろうか・・・?」 その通りだ、ロドリゴ君

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連れてこられた寺で、ようやく師匠のフェレイラと再会するロドリゴ
しかし、棄教していたのは本当のことで、彼は沢野忠庵という名前を名乗り、日本人の妻をめとって、すっかりジャパニーズとして暮らしていた。
そればかりかキリシタンたちに棄教するよう説得して回っているという。

アイデンティティさえも捨てて、お上の飼い犬に成り下がった師匠をロドリゴは激しくなじる。
信徒たちが信仰のためにむごたらしい弾圧を受けては命を落としていく地獄に耐えきれなかったフェレイラは苦しい胸の内を明かす。
「この国は沼なのだ。 苗を植えても育たない。 腐るだけだ。」


奉行所に戻されたその日の晩。 ロドリゴに運命の時が訪れる。
奉行所の庭には数人の信徒たちが穴吊りにされて苦しんでいた。
彼らはすでに棄教を誓っているというのに、ロドリゴが棄教しない限りあのままなのだという。
信仰を貫くか、棄教を犠牲にして、イエスの教えの通りに人を救うのか。
フェレイラも同じジレンマの中で棄教したと知ったロドリゴは踏み絵を踏む決心をする。

銅版画のキリストはロドリゴに語りかける。
「踏むがよい。 おまえの足の痛さを私が一番よく知っている。 私はおまえたちに踏まれるためにこの世に生まれ、おまえたちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」
ありがたいお言葉ですのぉ。 もう少し噛み砕けばこうだったのではないか。
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お店の女王様だったら、喜んで「踏んで下さい!」って、俺も言うけどなあ。
別にそんな趣味ないけどさぁ。 ヤローのきったない足の裏で踏まれるよりかはマシじゃないかね。
いや、いいんだよロドリゴ君。 踏んでくれたまえよ、遠慮なく。
むしろ、俺の方から頼むわ。 踏め、ロドリゴ。
そうしなきゃ、信徒が死ぬぞ。
それはな、俺を信じたせいじゃない。 おまえのせいで死ぬんだ。
ハッキリ言っとくぞ。 おまえが絵を踏まなかったせいで人が死ぬ。 状況はシンプルだ。
だったら、やるべきことは分かるよな。

第一な、俺もしんどい。 俺の教えを守ろうとすればするほど君らが苦しんでる。
この国ではダメだって決まってるものを、こそこそ隠れてやってもいいことなんかこれっぽっちもない。 見つかったら地獄だしな。
本来、信ずる者に救いをもたらさねばならない信仰が、こんな悲劇ばっかり積み重ねるようだったら、それこそ棄教した方が人はよっぽど救われるんじゃないか?
拷問も神が与えてくださった試練だと言って、自分から進んで痛い目に遭うアホがいるが、俺がそんなことをしろって教えたか?
そういうの、一番気分が悪いのは俺だぞ。 殉教なんて誰も特はせん。
やせがまんなんぞ、みっともないだけだ。

・・・・ロドリゴ君。 けっこう時間が経ったぞ。 早く踏めよ。 泣くなよ、大の大人が。 めんどくせえなあ。
俺が「せーのーで」って言ってやるから踏めよ。 いいな?
せーのーでっ! ・・・・・踏めよ! 踏めっつってんだろが!
君のそういうとこだぞ。 そんな意固地なとこがいかん。 もう、ただただキショい。
ただの絵だろ? そこんとこ割り切れよ。
チャッチャとすりゃあ・・・アッ!踏みやがった。 早っ! 踏ん切りついたら早っ!
いや、踏めとは言ったんだから、まあいいけど。
いいのいいの。俺はな~んも気にしてませんよ。
これでメデタシメデタシだ。

えっ?さっきまで沈黙してたのに、よく喋るだと?
では教えてやろう。
これはな、君の心の声だ。
君が本当ははこうしたい、こういう選択をしたいという君の願望の表れだ。
変なクスリに手を出してなければ、今君の耳に届いている声は、何を隠そう、君自身の叫びなのだよ。

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原作が長崎教区で発売禁止になったほどであるし、もちろんこの映画はキリスト教徒を同情とヒロイズムで囲ったプロパガンダではない。
棄教した者や、踏み絵を踏んだり、拷問に屈した者たちを、カトリック教会が言うように裏切り者だとか、安易な道に逃げた意思の弱い人間だと一概に断じるなと、この物語は訴える。
耐えた者も耐えきれなかった者も、みな同じように苦しんだのだ。
棄教した人々はどれほど辛かっただろうか。
救いをもたらさねばならぬ信仰のあり方という本質に踏み込みながら、いかなる形でも「心」が重要であることを説いている。
神は沈黙するものなり。 さすれば口先だけの信心よりも、黙して秘めた敬神こそが信仰の求める所。
人に押しつけず、また自身を飾って自らを追いこんではならないのだ。

窪塚洋介演じるキチジローという男が、人間の弱さを象徴した人物として出てくる。
踏み絵はちゅうちょなく踏むし、十字架にもペッとツバを吐き、銀300枚でロドリゴを売る。
そのたびに許しを請い、信仰を心から捨て去ろうとはしない。
「こんな世の中、弱い者の居場所はどこにあるんだ。」と嘆き、弾圧下の時代に生まれてなかったら自分は立派なキリシタンになれたのだと胸の内を絞り出す。
なんであろうと、心のままにこの世を生き抜いて、内と外から信仰と人間の繋がりを見つめている存在となっているキチジローの姿こそが人間の普遍性を示している。

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浅野忠信が演じた「通辞」という役名の男も面白い。
元はキリシタンであったが家族を奪われるなどして棄教したという過去を持っている。
ロドリゴ井上筑後守の間のワンクッションのようなポジションであるが、時にやんわりと懐に入ってくれば、また一転してクールにロドリゴの心を否定する面も持っている。

今まで何人もの信徒を転ばせ、同じような光景を何度も見てきた男は、さてこの男はどこまでの覚悟があるのかと量っている。
「おまえらがこの国に身勝手な夢を押しつけるためにまた血が流れよるわい。」とズバッと断じれば、一方ではどことなく、今一度かつて自分が信じたものが間違いでなかったことをこの男が証明してくれるのではという希望を託していそうな所も垣間見えるのだ。
「形だけでよいのだ。 転ぶと言え。 あとは良きにせよ。」

イッセー尾形も凄かったが、この浅野忠信も異様な迫力があった。

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それでも素直な感想としては、宗教というのはまことに怖ろしいとあらためて感じたこと。
無宗教であるから、特に信仰がもたらす偏執的で硬直した思考はただただ異常にしか映らない。

小学校の時に歴史の授業で初めて知った「踏み絵」にしたって、子供心に「嘘でも踏めばええやないか」と思ったのはアッシだけではなかろう。
単なる絵に足を乗せることがポーズだけでもできない、その頑ななところ。
拷問でどんなに苦しい目に遭わされようが、死ぬか、あるいは死ぬ寸前まで行かなければ「信仰」という囚われた考えから脱け出せない怖さは数多にある「宗教悪」と普通に並べられるのだ。

たとえ絵でも主の顔を踏まない。 いやいやいや。 踏んだらええやん。 銅版画やん。 イエスの顔に直でいってる訳とちゃうし。
なんだろうと自分の信じてるものや拠り所にしてるものは絶対的な存在だとする、その頑なな行動と同じものはいつの時代にも溢れてる。

コーランを揶揄したら「死刑じゃ!」という人らもいるし、「地下鉄にサリンまいてきなさい」と言われたら、「これはいいことなんだ」と信じてやった人らもいる。
事故や病気で病院に担ぎ込まれた子供の輸血を拒否して死なせる親もいる。
踏み絵も拒む宗教はそれと同じ。

弾圧した方とされた方のどっちが先かは微妙だけど、信仰の頑なな意思が異様にテンパってる者は、そりゃあの時代の政治家にしたら恐怖だったろうなと思う。
こんな宗教認めたら、そのうち妙な団結心起こしてヤバいことしそうだという危機感がけっこう高まってたんだろうね。


日本人は心が強いのだ。 それは胸を張って言える。
欧米人みたいにカウンセリングが一般的なほど心がナヨくはない。
日本は無宗教が多いのはそのためだし、キリスト教信者が1%というのも当然なのだ。
日本人は自分自身を信じれる民族なのよ。
みんなが「自分教」の信者。 それが我が大和民族。


「賢人のお言葉」
 
「信仰を有する者は、殉教者たるのみならず、道化となる覚悟がなければならない。」
 ギルバート・ケイス・チェスタートン

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アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場
2017年01月29日

T0021320p.jpg戦争というものはすっかり様変わりした。
今も世界のどこかで紛争があるが、現在欧米の大国が相手にしているのはテロリストである。
国という相手ではなく、組織または個人のテロリスト相手に躍起になって、ひっそりと戦争をしているのだ。

今やドローンという便利な兵器がある。
兵士が戦場に出向くことなく、安全な自国の施設から操縦する無人航空機が空からターゲットを探し出してミサイルを撃ち込むのだ。
ボタン一発で敵を排除。 まさにゲーム化した戦争である。

オバマ元大統領は前任のブッシュから「テロとの戦い」を継承したが、地上軍を大幅に削減する代わりに、ドローンによる攻撃を増やした。
オバマが就任した2009年から2015年までの6年間、ドローンの攻撃で殺害したテロリストは2372人から2581人。 民間人は64人から116人が死亡している。
イラク戦争後はトマホーク巡航ミサイルでのリビア空爆ぐらいしか軍事行動の印象がないアメリカだが、ちゃっかりやることはやっていたのだ。

98年の大ヒット映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で、青島刑事が叫んだ名台詞がどうしても頭をよぎる。
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」
警察組織にはきつい一喝なのだろうが、「戦争」に関してはそうとは言い切れない。
ドローンの台頭は戦争を変えた。
『戦争は会議室で起きている』のだ。


このイギリス映画も広義ではドローンが題材の戦争映画かもしれないが、上映時間と同じ1時間42分がリアルタイムで進行する物語で、そこで描かれてるのは、会議室で行われる戦争のあまりにもショッキングな実体である。
監督は「ツォツィ」のギャビン・フッド。
昨年1月に逝去したアラン・リックマンの遺作となった作品である。

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イギリス軍のキャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は諜報機関に属する将校である。
早朝からロンドンにある常設統合司令部に“出勤”してきたのは、長期にわたって追いかけているテロリストの居場所を突きとめたという一報を受け取ったからだ。

【アイシャ・アル・ハディ】
東アフリカ最重要指名手配の女テロリスト。
英国名はスーザン・ダンフォード。 つまりは元々イギリス人。
しかし改宗して、ソマリアのイスラム武装勢力“アル・シャバブ”に協力し、数々のテロを行ってきた最も危険なテロリストなのだ。

ケニアのナイロビでアル・シャバブの幹部らが潜伏していることが判明した。
彼らを監視していれば必ずやスーザン・ダンフォードも現れるはず。
目下、統合司令部ではケニア軍と連携して、アル・シャバブの幹部たちを捕まえるという地上戦の計画を練っていたが、もしもダンフォードが現れたら躊躇なくドローンからのミサイル攻撃で彼女を暗殺する。 大佐の腹は決まっていた。
ようやく巡ってきたこの機会を逃してはならない。

357995_009.jpg 
内閣官房会議室に召集された「国家緊急事態対策委員会(通称コブラ・オフィス)に“出勤”してきたのは国防省副参謀長フランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)。

彼はここに来る前に孫娘(?)あてのプレゼントを買うために玩具店に寄った。
御目当てはアナベル人形なのだが、どれにしようか迷ってなかなか決められず、ケータイで家族と話しながら相談している。
そしてようやく買ったあとで、出勤後に家族に電話すると、「えっ?“動く赤ちゃん”? なんだ・・・間違って買ってしまったな・・・。」
せっかくアナベル人形を迷ったあげくに買ったのに、孫娘が欲しがってるのは「動く赤ちゃん」だったようだ。
会話をそばで聞いていた補佐官が「私がなんとかしましょうか?」と声をかけてくれる。

この何気ない微笑ましいシーンは、実は物語に込められたテーマを象徴する強烈な皮肉であることがのちのち判明する。


会議室にはベンソン中将のほか、ブライアン・ウッデール閣外大臣、アフリカ担当政務次官アンジェラ・ノース、そしてマザーソン司法長官が集まっていた。
ケニアのナイロビで展開されようとしている英米共同のテロリスト捕獲作戦(通称E作戦)の政治的判断を精査して最終命令を司令部に伝えるために顔をそろえた面々はただならぬ緊張に包まれていた。

357995_004.jpg 
一方、アメリカのネバダ州クリーチ空軍基地に、配属されて間もないスティーヴ・ワッツ中尉(アーロン・ポール)がドローン操縦の任務のためにやってきた。
コンビを組むのは、こちらも配属されたばかりのキャリー・ガーション上等航空兵(フィービー・フォックス)だ。
2人はヘルファイアミサイルを搭載したドローン、MQ-9リーパーをナイロビ上空へと飛ばし、アル・シャバブのメンバーたちの動向を監視しながら、いつでも攻撃できる体制を整える。

ワッツキャリーの若き兵士は人をまだ撃ったことがない。 それぐらいの経験なのだ。
ワッツにとって初めてのドローンでの任務は、ケニアから遠く離れた安全な場所から戦闘行為をするというのが不思議な感覚だった。
コントロールルームの座席に着いた時は、やがて自身の倫理感を揺るがす苛酷な瞬間が訪れるとはワッツは予想だにしなかった。

無題
ケニアのナイロビ。
手先の器用な職人のファチマには9歳になる娘のアリアがいる。
この村では銃をかついだイスラム武装勢力の男たちが通りに立っては人々を威嚇している。
父親は娘に教育を受けさせてやりたくて、こっそりと部屋の中で勉強を教えているが、誰かに見られたら大ごとだ。

アリアはフラフープで遊ぶのが大好きだ。 ものすごく得意なのである。
しかし、女の子が遊んでるところさえでも、目撃した近所の住人が血相を変えて父親に注意する。
そんな暮らしなのだ。 特に女性にとっては息のつまる社会だ。

だが父親はまだ知らない。
我が子に降りかかるおぞましい運命を。

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ドローンによる偵察映像はライブでロンドンの常設統合司令部並びにコブラ・オフィスにも流れている。
やがて、マークしていたアジトから車が出発する際に、車に乗り込もうとしている女性らしき人物が確認される。
ハワイのパールハーバーに従軍している画像分析官が顔認識システムで、この女性をスーザン・ダンフォードと断定。

パウエル大佐は色めき立つ。 遂にこの時が来たのだ。
当初はアル・シャバブの幹部たちをケニア軍が急襲して捕獲するという地上戦が予定されていたが、ダンフォードの出現で状況は一変した。
「捕獲」から「殺害」へ。

テロリストたちの車はやがて一軒の平屋に到着した。
車から降りたメンバーがその家の中へと入っていく。

357995_006.jpg
現地では工作員のジャマ・ファラ(バーカッド・アブディ)が偵察任務を行っていた。
先日、正体がばれた仲間の工作員がアル・シャバブに処刑されていたので、彼は慎重にならざるを得ない。
元は武装勢力にいたが、逃げ出したこの自分の顔を覚えてる兵士も少なくはない。
通りをウロウロしている兵士に顔を見られたら気づかれる危険を背にジャマはターゲットを偵察する。

手にしているのはプレステ・ポータブルを改造して作られたコントローラー。
実はドローンの操縦に使われる。
無論、でっかい飛行機のようなものではない。
Eye-in-the-Sky-Movie-Wallpaper-04.jpg 
ハチドリ型ドローン。 通称ハミングバード。
16センチ程度のバッテリー駆動式超小型ドローンで、これならばかなり接近した映像が撮れる。 もちろん空中停止も可能。
クチバシがあらかじめパカッと開いており、中にカメラが仕込まれている。

重さは10グラムにも満たないが、パタパタした動きは割とバッテリーを食うので、稼働は長くて10分ぐらい。 安物のコードレス掃除機みたいなもんである。
この小鳥ちゃんが最初にダンフォードの顔を捉えて大手柄。
さて、次はテロリストたちが入っていった家の中も見たいが、鳥が家の中まで入っていってはいくらなんでもおかしいので、次に使われるのが虫!
main-qimg-ce7cafb498298a1c23ba887e09f4b087-c.jpg 
昆虫型ミニドローン。 ここまでドローンは進化している。
007の世界が今や実際に行われているのだ。
ただし、こちらの稼働時間は5分程度しかバッテリーはもたない。

そしてこのカナブンちゃんが、ターゲットの入っていった家に侵入し、天井の梁に停まって部屋の様子を映し出す。
eye9f-4-web.jpg 
ベッドの上に広げられているのは、明らかに大量のTATP爆薬だった。
それを一人の若者が着用したベストにもう一人の男が爆薬を仕込んでいく様子がハッキリと映し出されている。
これから連中はどこかで自爆テロを実行しようとしている。
一刻の猶予もならない。
今すぐにでもドローンからこの家にミサイルを撃ち込んで殺さないと、何時間としないうちに大勢の犠牲者が出るのは明白だった。

パウエル大佐は攻撃の指示をコブラに仰ぐ。
攻撃といっても標的となるその場所は市街地でもある。
当然テロリストだけを都合よく殺せる訳はない。
ヘルファイアなら家一軒ぐらい破壊できるが、もちろん近隣にも被害は起こる。
その点の憂慮も含めて、まずはロンドンのお上の許しを請わねばならない。
コブラからのGOサインなしでは攻撃はできないのだ。

だが・・・この映画が進化したドローンの話ではないことなど承知だが、ここから先はまるで(いい意味で)ヘタなコントを見させられてるかのようなドタバタが展開される。
まさに衝撃。 笑い話にもならないスッタモンダを大国のお偉方がかますのである。

無題 j 
最終的な決定は閣外大臣が下す。
しかし、コトをややこしくしているのは、一般市民にも被害が出る懸念はもちろんなのだが、ケニアがイギリスの友好国だということ。
テロリストを狙った末の結果だとしても、友好国の市民を巻き添えにするのが果たして止むを得ないで済まされることだろうか。
それに殺す相手は同じイギリス人なのである。 ミサイルのボタンを押すのはアメリカ人だが。

ベンソン中将は自爆ベストの映像から、あれが人の密集した場所で爆発したら少なくとも80人は死ぬだろうと判断する。
ならばあの家にミサイルを撃てば近隣がどれほどの被害を被るのかだが、これも漠然としている。
ミサイル攻撃は政治的にも法的にも可能なのかということで「会議室」は紛糾する。
ウッデール閣外大臣は法律顧問でもあるアンジェラ・ノースに問うも、「法的には正当性はない。」と断言される。
ベンソン中将は軍の立場として、テロを未然に防ぐために攻撃も止むなしの主張は揺るがない。

困り果てた大臣は、外務大臣の意見を伺うことにした。
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シンガポールでの貿易会議に出席していた外務大臣ジェームズ・ウィレット(イアン・グレン)。
どうやら食べたエビにあたってしまい、トイレから離れられなくなった"緊急事態"に、さらに難題が降りかかる。
彼の立場としては、ケニアでそれはまずいだろう、と。 
だからと言ってテロリストをむざむざ逃すのも寝覚めの悪い話だ。

自分のお腹の中が"テロ"に遭ってるので、正直ケニアのことなど「それどころではない話」だった。
自分で決断できなかった彼は、その問題をアメリカのスタニック国務長官(マイケル・オキーフ)に丸投げする。

そのスタニック国務長官はというと・・・
中国で外遊中で、卓球のイベントに出席して楽しんでいた。
そんなお楽しみのひと時にかかってきた国際電話に不機嫌になった長官はもはやマジメに考える気はなかった。
そんなことを私に決めろってか、イギリスの首相に聞けよ、これはそういう問題だろう、じゃ、そういうことでバイバイキーン・・・・・
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では今度は首相に聞きましょうというとこまで来たら、もう立派なコントである。
この人らは何をしとるのん? 「シン・ゴジラ」と同じような光景だ。
で、首相は「被害を最小限に抑えなさい。」
いや、それができんからアンタに聞いとんのやないかーい!
「卑怯ね。」アンジェラは吐き捨てる。

ともかくも、攻撃の承認は下りた。
多少の被害は避けられないが止むを得ない。
パウエル大佐にとっては6年越しの悲願が叶う。

しかし、ここで想定外の事態が発生する。
標的の家のそばに思わぬ人物がやってきたのだ。
Eye_In_The_Sky_2015_1080p_BluRay_DTS_x264-ETRG_Screenshot1.jpg 
フラフープで遊ぶのが大好きな少女アリア。
彼女は母親が焼いたパンを毎日、家の外の通りに出て売っているのだ。 少女の背後にある石壁の塀の向こうはまさに標的となっている家だった。
その家にミサイルを撃てば、テロリストは一網打尽にできるだろうが、まちがいなくパン売りの少女も巻き添えで死ぬ。

ドローンが上空から撮っている映像にロンドンの司令部も会議室も、そしてドローンの操縦士のワッツも戦慄する。
攻撃ポイントに、何の罪もない子供がいることは誰もがハッキリと確認した以上、周辺の被害も止む無しのスタンスが一気にぐらつく。
ようやく攻撃命令を出しかけた「会議室」も、ちょっと待て・・・という空気になる。

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パウエル大佐としては、絶対逃したくないチャンスだった。
少女がひとり死んだってかまわないとまでは言わない。 そこまで鬼ではない。
しかし、刻一刻と爆弾を体に巻いたテロリストが街中へと向かう時間が迫っている。
6年も追ってきた最重要危険人物にまたしても逃げられてしまうかもしれない。
今の機会を逃せば、それこそ軍人としての死であることをパウエル大佐は感じている。

司令部でも「会議室」でも意見は分かれた。
少女一人を救うために80人を犠牲にするのか、少女を犠牲にしてでもテロリストを殺すという法的・政治的にも灰色な決断を下すのか。
アンジェラはハッキリと言った。 80人が死んでもいい、少女が助かるのなら。
ベンソン中将は言う。 80人だけでは済まない。 その先にも彼らテロリストたちはもっと犠牲を出すことをやる。 だから今殺さなければ。


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しかし、ドローン操縦士のワッツ「時間をくれ。」とギリギリまで命令に抵抗する。
どうか少女に現場から離れるチャンスをと。

パウエル大佐は止むなく、工作員のジャマに連絡を取って、なんとかあの少女を現場から遠ざけさせようとするのだが、通りにたむろする兵士たちにジャマの素性がばれてしまい、「パン買占め作戦」は頓挫。
ジャマも兵士たちの追手を逃れて現場に近づくことができなくなってしまう。

だがジャマは、通りかかりの男の子を呼びとめて、釣り銭は全部あげるから、あそこで女の子が売ってるパンを全部買ってくるんだと頼む。
喜んで駆け出していく男の子だが果たして間に合うのか。

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パウエルはなんとかミサイル発射の命令を引き出す理由が欲しかった。
少女がいるのは、家を真上から見ての左下の角のところ。
少女への影響を最小限に食い止めるには、ミサイルの着弾点をずらすしかない。
それでも少女が絶対死なないという保証はないが。

パウエル大佐は司令部でリスクアセスメントを担当しているサディック伍長(バボー・シーセイ)に、着弾点による被害確率を計算させる。
少女のいる位置は65%の確立でほぼ死を招く。
少々着弾点をずらしても、変わらない数字だった。
パウエルにとってどうしても欲しい数字は「45%」。 65%という数字が大臣の首を縦に振らせない。

彼女は、モニターに映る家の隅っこを指さして、ここならどうかと伍長に問う。
それでも「65%~45%」という曖昧な返事が返ってくる。
パウエルは「45%以下になるよう計算し直しなさい。」と伍長に帳尻合わせを暗に求める。
伍長は渋々、コマンド数値の下の確立数を告げねばならなかった。

45%の数字を受けて閣外大臣から命令が下る。
「殺害実行」

少女アリアの運命はそれこそ運を天に任せるしかない。
誰もがモニターを凝視しながら「早くその場から離れてくれ」と祈る。
ヘルファイアが放たれる。 すべては「空の目」のみぞ知る・・・・・
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まさしく絵に書いたような、船頭多くしてなんとやらである。
判断と責任の押し付け合い、なすり合いが国家レベルの偉いさんたちの間で繰り広げられる。
リアルタイムで進行するこの物語を観客も同時に追体験しながら、「会議室」で行われる戦争の茶番に唖然呆然、そしてやり切れない気持ちで見届けることになる。

フィクションとはいえ、実際にもこんなケースはあるのだろう。
現地に行かずとも安全な場所からモニターを眺めて、対敵の手段をシミュレートかつ選択しながら進めていく、お手軽な戦争は得てしてこんなことになるのだろう。
返す返すも、現場にもっと人員がいたら・・・と悔やまずにはいられない。

ましてや「国対国」ではなく、一人二人のテロリストを抹殺する闇討ち行為が今や現代の戦争である。
どこの国がどこの国の敵を殺そうとしているのかさえ、もはや曖昧になってしまっている。
戦争するからには、そこらへんは割り切っているのだろうとてっきり我々が思っていた国家の人間や軍人でも、「法的にどうか?」「政治的にどうか?」とこの期に及んでその是非を議論し合うのだから、この映画の中の話でも、「国家間で何の打ち合わせもなく始めた作戦なのか?」と疑問に思わずにはいられない。
Eye-in-the-Sky-Movie-Wallpaper-08.jpg  
裏返せば映画のツッコミどころになってしまうのかもしれないが、もう少しやり方があったのではないかとは思う。
殺害にこだわらずにケニア軍の部隊を急行させて家を包囲すれば、少なくともアリアはあの場所へパンを売りには行かなかった。
テロリストが自暴自棄で爆弾を炸裂させる危険がケニア兵に及ぶかもしれないが、そこも込みで準備をして対峙するのが現場のプロではないか。
素人考えなのかもしれないが、この出来事はドローンによる殺害に固執するパウエル大佐の功名心や、戦争にリスクなど考慮しないベンソン中将の考えが隠然たる力として水面下でうごめいているので、このやり方の形はどうしても雑に映る。

実際のリアルな現場なら、子供だろうが老人だろうが一般庶民の存在など無視するのだろうか。
そこにいる方が悪いと割り切るのだろう。
少なくともアメリカはこの6年間、おそらくそうして最大で116人の一般人の命を無視してきたと思われる。


戦争をするからには犠牲が出ないなどということはない。
それでも、物語は実に残酷な問いを投げかける。
「一人の少女」か、「80人」か。
「会議室」でも意見は真っ二つに分かれる。

少女を救うのならば、自爆テロで最低80人の犠牲者が出る。
80人を救いたかったら少女に死んでもらうしかない。
「少女を救うべきだ」 「80人の中にだって少女はいる」 「人ひとり救えないようでは、我々のやってることに意味がない」 「犠牲は止むを得ない。1人より80人の方を救うのは当然」

観客も考えざるを得ないこの難題には答えはない。
単純に数の問題ではないからだ。・・・と、綺麗ごとを言ってても、二者択一を迫られた「戦争中の会議室」は、どちらを選んでもババをつかむことに変わりはない。
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一番恐ろしいのはパウエル大佐が2発目を撃てと指示したシーンだ。
一発目だけでは、スーザン・ダンフォードは死ななかったのだ。 深手を負った体をかろうじて動かそうとしている映像をドローンが捉える。
躊躇なく指令を飛ばした彼女の目には、アリアの両親が爆風で倒れた我が娘に駆け寄ってる映像など映ってはいない。 気にもしていない。

ネタバレになってしまうが、病院に担ぎ込まれた(車に乗せて運んだのは武装勢力の男たち)アリアはもう息をしていなかった。
感傷をえぐり取られる思いだが、こういうことは当たり前にあるのだと言わんばかりに映画は語っている。

コブラ・オフィスに"出勤"する前にベンソン中将は孫娘へのプレゼントに悩んだ。
そして彼は選択を誤った。 違う人形を買ってしまうも、この日の任務が終わった後、補佐官がちゃんと"動く赤ちゃん"を買い換えてくれていた。
そもそも彼は孫娘へのプレゼントなど真剣には悩んではいない。 ナイロビの少女と同じぐらいに軽い。
選択ミスをしても、彼にとってはさしたる問題ではない。
"動く赤ちゃん"はどこでも売っている。 しかし、アフリカの地でつつましくパンを売っていた少女はもう“動かない”のだ。
こんな悪い冗談のような悲劇があるだろうか。

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すべて終わった後、政務次官アンジェラ・ノース中将を激しくなじる。
「恥ずべき作戦よ。 安全な場所からやっただけ。」
これに対して、為すべきことを為すという荷を背負う軍人の答えは、ある意味見上げたものだ。

私は5つの自爆テロの現場処理を経験した。  地面に遺体が散乱していたよ。
今日、コーヒーとビスケットを手にしながら見たことは確かに恐ろしい。
しかし、テロリストたちがやったであろうことはもっと恐ろしい。
決して軍人に言ってはならない。
彼らが戦争の代償を知らないなどと。

戦争に綺麗ごとは通じないことを知っているのは現場も見てきた軍人だからこそだ。
「会議室」だけでしか見てこなかった者には理解はできない。
優先すべきは為さねばならない目的のみ。 それはテロリストだって同じ。
守るためには犠牲は出るという大いなる矛盾を抱えながら、何が正解なのか、間違っているのかは誰にも分からない。
天から見下ろして全てを理解できる目など誰も持ってはいないのだ。


「賢人のお言葉」
 
「戦争の最初の犠牲者は真実である。」
 アイスキュロス

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At the terrace テラスにて
2017年01月24日

T01a_171591.jpg舞台演出家でもあり、CMディレクターでもあり、映画監督でもある山内ケンジ。

「城山羊の会」の主宰として数多くの舞台を手掛け、映画では「ミツコ感覚」(11)と「友だちのパパが好き」(15)を監督。

とはいっても、やっぱり山内ケンジといえばソフトバンクの「白戸家」のCM。
過去には日清の「UFO仮面ヤキソバン」やセガの「湯川専務」、TBCの「ナオミよぉ」など、ユニークなCMを手掛けてきた人。

そういう独特のセンスを放つ山内ケンジの最新映画監督作は、「城山羊の会」の舞台「トロワグロ」を完全映画化したもので、ある豪邸のテラスで繰り広げられる会話劇。
登場人物は7人だけ。
シーンも「テラスでの会話」のみ。
テラスに7人が入れ替わり立ち替わりしては、他愛のないお喋りから次第に欲望を剥き出しにしていくというブラック・コメディ。

『100%富裕層向け映画。』というキャッチコピーがドーン。
おや、さようですか。 じゃあ、アッシには御縁のない映画でござんすねと右から左に受け流す・・・という訳にいかない。
拝見つかまつってやろうじゃねえかと映画館へ。
そして非富裕層のオッサンは感動した。

これ、面白いねえ。
いや、これは意表を突かれたなあ。
一週間限定公開だなんてもったいねえ。 アンコール上映求む。


とある豪邸ではパーティーが開かれていたが、ようやくお開きムードになって客もちらほらと帰っていく中、酔いざまし、またはちょいと一服のつもりで人物がテラスへと出てくる。

「荒野の7人」ならぬ「テラスの7人」。
添島宗之  パーティーを主催した家の主。 “専務”と呼ばれている。
添島和美  宗之の妻。
斉藤太郎  サン・アドのデザイナー。
斉藤はる子  太郎の妻。 歯科衛生士。
田ノ浦  トヨタに勤める若者。
斉藤雅人  専務の部下。
添島照男  専務の大学生の息子。

前半は専務の息子を除いた6人。 後半からは、家に帰宅した息子も加わってのトークの修羅場の一夜。
別に普段からそんなに親しく交流してたわけではない相手のホームパーティーに呼ばれた者同士と、ホストの顔を伺いながら「いえいえ私なんか・・・」という謙遜合戦で腹の中を探り合う、セレブの悪いところが出た気色悪い会話は徐々にほころび始める。
謙遜や気遣い、ヨイショが相手に伝わらないのか、「それはどういう意味か」、「そんなつもりで言ってない」などの剣のあるムードがまるで軌道修正されずに、妙な我の張り合いへと発展していく。

この悪い空気を逃れて、おいとまするタイミングも何度かあるのだが、誰かが余計なひと言で蒸し返したり、別角度からの議論になったりと招かれた客人はなぜか帰れない。
そうこうしてるうちに、それぞれの人物の隠されていた欲望や本性が露わになり出し、やがては衝撃的惨事が訪れるのである。
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会話の話題は、「腕」。 もう、ず――――っと、その話だけ。
デザイナーの斉藤さんの若妻はる子の腕。 彼女の腕が白くてきれいですね、という話から専務の奥さんの和美がカラみだすのである。
「白い腕」の話だけでこんなにもディスカッションが広がるのかと感心してしまう以前に、くだらんことこの上ない議論のインフェルノへと炎上が広がると、もしもアッシがその場にいたらスリッパで全員の頭を張り倒してやりたくなる。

とにかくヤケに火に油を注ぎたがる専務の奥さん、和美
酔ってるせいかは知らぬが、どことなくシナをつくり、コケティッシュなオーラを発散させているメガネ婦人の負けず嫌いというのか、はる子への嫉妬心丸出しのホメ殺しが止まらない。

最初にテラスに出てきたトヨタの田ノ浦はる子が初対面の挨拶を交わしつつ、親しく世間話などをしていたのを見ていた和美田ノ浦「ああいう人、お好きですか?」と突っつく。
田ノ浦としては専務の奥さんに気を遣おうとしたのだろうが、好きか嫌いかと言われても別に好きとかいう訳でもないので、「腕が白くてきれいですよねえ。」と言い繕ったのである。 これが和美の神経に障ったのだろうか。
フレッシュさでは負けてることなど承知でも、男が自分以外の女を褒める言葉を聞くのはイヤなのだ。 たとえ体のほんの一部の話であっても。
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ここから和美はる子に対してのイヤミったらしい突っかかり方がどんどんエスカレートしていく。
和美「はる子さんの腕きれいよねえ。」と褒める。 はる子「そんなことはないです。 奥様だってきれいです。」と返す。
「え~っ?どこがどこが? そんなはずないでしょ。 だって見て見て、この二の腕、プルンプルンよ。」
はる子の腕の白さを褒める一方で、自分の腕は見れたもんじゃないと自虐でもって、相手をホメ殺しにかかる和美のねちっこい「祭り上げ攻撃」がしつこいったらありゃあしない。

専務や、はる子の夫の斉藤太郎、 もう一人の同性の斉藤さんもテラスに出てきて話の輪に加わって、ヘラヘラとなだめたり、オロオロしながらなんとか話題を変えようとするも、どうしてか「腕」の話はエンドレス。
相手がどうしても「はる子さんの方がきれいでしょ。」と言うのなら、ああ、そうですね、そういうことでいいですと、はる子も収めようとせず、「いいえ、奥さまの方が・・」と譲ろうとしない。
そんな奇妙な諍いは、どんどん険悪な議論になっていく。
なんじゃ?この女たちは?
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田ノ浦はる子の夫の太郎を引き合いに出してフォローすると、太郎が悪く受け取って愚痴り出す。
愚痴られた田ノ浦が泣きだす。 泣かんでもええやんけと周囲はドン引き。

病気のために胃のほとんどを切って体調がイマイチのもう一人の斉藤さんは急にぶっ倒れる。
ちょっとすると、復活するのだが・・・。

専務はる子の間で川端康成の小説「片腕」の話題になる。
女が『片腕を一晩お貸ししてもいいわ。』と肩からはずした右腕を借りた男がアパートに持ち帰って一夜を過ごすというシュールな短編小説を専務はる子も読んでいて、また話がはずむのはいいのだが。
また「腕」の話かよ、という空気はまだまだ続き、和美はる子の攻防は双方ともに一歩も譲らず、そこに加えて、「なんでも悪く受け取る奴」、「すぐ泣く奴」、「すぐぶっ倒れる奴」らが場をめんどくさくする。
やがて添島家の大学生の息子、照男が帰宅して、救いのワンクッションのはずが思わぬカオスへの引き金になり、それぞれの化けの皮が剥がれていくのだ。


この物語の映像は、実は木の上からテラスの光景を見ていた一匹のムササビの目線によるものという設定になっており、冒頭とラストにその姿が映し出される。
flying squirrelIMG_2068 
はい、こんばんわ。 ムササビです。
めっきり寒くなりましたね。 むっさ、さびぃぃーっ!なんてことを申しますと余計にサブくなりますね、スイマセン。
え?モモンガ? 違いますよ。 一緒にしないでください。
あいつら、あんまり寒かったら仮死状態とかになる種類いますからね。
レインボーマンじゃあるまいし。
私らムササビはいくら寒くても元気で飛び回りますよ。

そんなことよりも。 添島さんとこのパーティー。
めっちゃ傑作ですよ。 なんですか、あの人ら、おもしろいですねえ。
まずはこの人。
cast_1 i 
添島和美 (石橋けい)
胸の谷間が見えるドレス着て張り切ってますね。
卑下するほど年増じゃないんですけど。
女としては十分いけます。
それでも自分より若くて、ちょっとでも負けてる所のある女がいたら対抗したくなるんでしょうね。
そのネチっこいカラミ方は、そりゃいい鬼姑になる素質十分。
あのマフィアのできそこないみたいなダンナには“オトコ”を感じれず、“オンナ”がギンギンに残ってるこの奥さんは若い男を一度ペロッとやってみたい願望がありありです。

cast_2 h 
斉藤はる子 (平岩 紙)
最初のうちは控えめな「平凡な主婦」を自ら演出されてましたね。
専務の奥さんとの「腕議論」でヒートアップするうちに、少しづつ抑えてたものが顔を出してくるんです。
この人も負けず嫌いですねえ。
お酒が弱かったはずなんですが、後半から40℃ぐらいの酒をむせもせずにグイグイやって潰れないんですから、鬼級のウワバミです。
ダンナには日頃から不満があるようで、この夜も、専務に顔を売っておきたくて必死のダンナが、腕議論に巻き込まれた自分をフォローしてくれないことに対してキレだします。
酔った勢いで照男にブッチューやってましたが、まあ、あれはダンナへのあてつけでしょう。
結婚してそんなに経ってる訳でもないのに、太郎が自分にあまり関心がないのではと感じる疑惑の答えが、まさかの理由・・・。

cast_3 n 
斉藤太郎 (古屋隆太)
はる子のダンナは、つかみ辛い性格です。
我が強い訳じゃないんですが、その癖、他人から自分がどう思われてるかをヤケに気にするフシがありましたね。
自分のことを言われるとネガティブに受け取る性分に隠された秘密がアレとはね・・・。
いやあ長いことムササビやってますけど、これにはビックリです。
最初のうちは早く帰る機会を探ってましたが、途中からなかなか帰ろうとしないようになったので、なんか怪しいなと思ってたんですがね。
それにしても、これはきつい。
このあと、この夫婦はどうなったか、メッチャ気になります。

cast_4 z 
添島宗之 (岩谷健司)
専務って感じがしませんねえ。 どこかの組の舎弟頭かと思いましたよ。
尊大な所などなく、割とざっくばらんな人柄のようですが、やっぱりというか、女たらしです。 まっ、そういう顔してますがね。
みんなで踊ってる最中に、はる子に言い寄るエロ親父の、「この腕、今晩貸してもらいたいな。」はサブくなりました。

cast_5 h 
田ノ浦 (師岡広明)
トヨタに勤めてると言ってましたね。
それにしても、本当にコイツ社会人か?と思うぐらい、異常に打たれ弱い奴でしたね。
なんか、ちょっとキツく言われたら、下向いて肩震わせて、子供みたいにフエ~ンって泣き出す。 それも一度や二度ではなく、まるで持ちギャグみたいに泣いてました。
そりゃ童貞じゃないかなんて言われますよ。 いや童貞なんでしょうけど。

cast_6 s 
斉藤雅人 (岡部たかし)
専務の部下らしいですが、イマイチ素性が謎ですね。
胃を悪くする前は、巨漢の男だったようで、胃を切ってから激ヤセ。
しかも手術から日が浅く、体調が最悪なもんで、何かとすぐにバターンと倒れる。
またきれいな倒れ方するんですよ。 ピーター・アーツのハイキック受けたエスドンクみたいな。
普通は帰りますけど、なぜか無理を押すんですな。 そこが分かりません。
で・・・最後はね。 木の上にいた私と目が合いましたね。

cast_7 j 
添島照男 (橋本淳)
添島家の大学生の息子は三菱重工に内定してるって言ってましたな。
金持ちのボンボンにしては、割としっかりしてるというか、面倒見のいい性格をした好青年です。
それにしても、はる子さんに気があるのかなとてっきり思ってましたが・・・。
オヤジは女好き。 おふくろは男好き。 息子も男好き。
ファンキーな添島ファミリーです。

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以上、「ムササビは見た!」でした。
いやあ、面白いもんが見れましたね。
人間ってのは本当におかしな生き物ですね。
こんな豪邸で開かれるパーティーに集まる人種というのは、他人の腹の内を必要以上に気にするのか、探り探りの会話をしようとするんですね。
そこへあの奥さんのように、人のふところにズンズン付け入ってくる者が出現すると、面白いように殻がめくれ出すというかリミッターが外れるんですな。
金持ちケンカせずとは言いますが、庶民の世界を「地面」とするならば、そこからたかが2,3段上がった程度のテラスのような位置にいるに過ぎない富裕層気取りには心のゆとりがないのだということがよく分かりますね。
まあ、ムササビの私には関係ありませんがね。
ああ、もうこんな時間か。
メシでも食うか。 それとも交尾でもするか。 どっちにしようかな。 めっちゃ交尾したい気分だしな。 でもメシ食おう。 あ、いや、やっぱり交尾しよう。

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ムササビさん、どうも御苦労さん。
さて、この映画はジャンルとしてはなんだろうか? 心理サスペンスでもあり、ブラック・コメディでもあり、シチュエーション劇でもある。
ストーリー上の出来事が上映時間(1時間35分)と同じ時間進行で展開。 臨場感が心地いい。
舞台がオリジナルでしかも配役も同じながら、まったく演劇っぽくなくて全然映画的。
むしろ未見の舞台版はどんな感じなのだろうかと気になるほどに、いい意味で舞台のテイストを抑えてある。

何と言っても、俳優の素晴しいパフォーマンスを堪能するに限る。
そのための95分だ。
石橋けいの怒涛のマシンガン・トーク。それを受け止め、時に弾き飛ばす平岩紙の応酬。
実際こんな現場に出くわしたらゲンナリするが、この二人の女優の相譲らぬアクティング・ファイトは鳥肌が立つほどしびれる。

会話そのものは堂々巡りのようでありながら、なぜにこうも引き込まれるのか不思議。
うざいけれども、そこが楽しい95分。 意外な掘り出し物だ。


何も深く考える必要はないが、いろいろと気になってしまう性分である。
【一体なんのパーティー?】
服装はそんなに固い格好をしてないし、単なるホームパーティーだとは思うのだが、その出席者の面々自体統一性がない。
斉藤夫婦と、もう一人の斉藤と、田ノ浦との間だけでも、「え~っと、どちらの誰々さんでしたっけ?」みたいな挨拶をしてるので、“親しい人たちだけが集まって”という形のパーティーではないようだ。
帰りそびれたこのたった4人だけでもそんな感じが出てるのだから、なんだか主催者の添島夫妻がとりあえず片っぱしから声をかけて集めたという感じがこのパーティーには出ている。

【場所はどこ?】
東京だろうという前提だが、まず気になるのは、この豪邸は1階も2階もやたらに窓がでかいということ。
プライバシーもへったくれもない、カーテンひかなきゃ中が丸見えのこんな家を都心には建てないだろう。 100%郊外である。
もちろん庭も広いが、御近所さんとの距離もかなり離れている山手の立地なのは間違いない。
なにせ、ムササビが出没するのだ。 ムササビのメッカである高尾山のふもとである八王子が地理的には最有力。

【専務は何者?】
大企業の人ではないように思える。 よくて二部上場だろう。
トヨタの社員がパーティーに来てるということは、運輸・倉庫関係の会社なのだろうか。
ひげを生やしたままだし、そんな企業の専務はいないとは断言できないが、どこか垢抜けない見て呉れは小物感が漂ってる。

・・・・・・・・・・・
まあ、別に気にすることではないのだが。

358469_001.jpg
 


「賢人のお言葉」
 
「およそ人間ほど非社交的かつ社交的なものはない。 その不徳によりて相集まり、その天性によりて相知る。」
 シャルル・ボードレール

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